今晩の食事は麻婆豆腐。



息子の大好物で妻がエンディングノートに残してくれたレシピ。


味噌を使った辛くない白麻婆。


食事は妻がほとんど作ってくれていました。


私は最後の味付けをするくらいでした。


「はい、味付けはお父さんね。」


とか、


「炒めるのは、お父さんの役目。」


とよく言われていました。


でも、この麻婆豆腐だけは妻に任せていました。


「簡単だから覚えといて。」


と言われましたが覚えていませんでした。


妻が亡くなる前、市販の麻婆豆腐の素を使って作りましたが、息子は食べませんでした。


それを知っていたことや私の性格をよく知る妻はエンディングノートにレシピを残していてくれました。


「お母さんの味やね。」


2人で話しました。




これから2人で花火をしてお盆に帰って来ている妻を送ろうと思います。

今日は妻ひとみの初盆の法要を菩提寺で行いました。


今回は涼介と私の2人。


ひとみの望んでいた家族3人で過ごしました。ひとみが帰ってくるお盆は家族3人で過ごしたかったのです。


義両親や義妹にはその旨を伝え、了承してもらいました。


妻はギリギリまで家族以外には病状を伝えず、家族だけで静かに過ごすことを望んでいました。


義両親や義妹が来たら気を使うことになるし、疲れるからです。


その気持ちに反して、フォルフィリノックスの効果が無くなったときに義両親や義妹に連絡を入れたのは私でした。


元気なうちに会ってもらい、元気な妻の記憶を残して欲しいと思ったからです。


亡くなった後で、ろくに話ができずに逝ってしまわれたのでは親として悲しすぎると思ったこともありました。


法要は15時半からでしたが、昼には強めの雨が降りました。結婚前、何かあると雨が降っていました。花火大会の日に妻が来たとき、晴れの予報だったのに昼過ぎに大雨が降り、短時間で晴れたのに花火大会が中止になったことを思い出しました。


「雨女やね〜。俺は晴れ男やで。」

「私もいつも晴れるよ。」


「2人でいたら雨が降るんやね。」


そう話していました。


結婚後は何をするにも晴れるようになっていました。


結婚式も雨が降る予報でしたが、きれいに晴れていました。


確か亡くなった日も雨が少し降り、晴れたような気がします。


「お母さんらしいね。」


遺影に語りかけていました。


帰ってきてくれたんだと涼介と話しました。



昨日には妻の中学生時代の友達から花が届きました。


妻や私と息子に気持ちのこもった手紙もいただきました。


妻も喜んでいるはずです。






8月1日から9日まで涼介は関東の親戚の家に遊びに行っていました。


飛行機で往復し、新幹線でおぢば帰りに参加し、ディズニーランドに行き、祖母に会い、こまちに乗って仙台の七夕祭りに行ったみたいです。


妻が亡くなって息子とずっと一緒で1人の時間もありませんでした。妻が引き受けてくれていたことも全部こなしてきました。


たまには1人の時間が欲しいなと思っていました。


時間ができたのでスロットに行ったり、息子と一緒では食べられない物を食べに行ったりしました。


でも、虚しさが残るだけでした。


そして1人で家にいると虚無感が深くなるだけでした。


妻もいない、涼介もいない。1人の時間が欲しいと思っていましたが、涼介がいることで自分が生きていられるんだと感じられました。




「お父さん、涼介大好き。」私が言うと、


「知っとるよ。」「言うと思った。」涼介は応える。



「お父さん、涼介大好き。でもお母さんはもっと好き。」


「俺もお父さん大好き。でもお母さんが1番好き。」


お母さん、聞こえてる?


体は治った?元気になった?


寂しくない?


2人とも元気だからね。

妻が亡くなって約2か月が経ちました。


カードの暗証番号等、しっかり者の妻が何もしていないはずないと思い、家中を探していました。


亡くなる前、転職してから毎月貯金を切り崩していたことを気にして最後にお金をしまっている場所を教えてくれた妻。


お金をしまっていたのが妻の荷物を置いていた部屋でしたので先入観が芽生えてしまっていました。妻の荷物置き場の部屋、洗濯干しの部屋、寝室、和室と順番に片付けながら調べていきました。


書類を1枚1枚めくり、調べ、まとめていきました。調べては片付け、調べては片付けしていき、環境組合に持ち込んだゴミ袋は30袋を超えていました。


しかし、何も見つかりませんでした。


最後に初めに調べたダイニングにある妻の書類ボックスと、見ていなかった私の書類ボックスを片付けていた昨日のことでした。


妻のボックスを片付けた後、私のボックスを片付けていたとき、紀伊國屋の袋に入ったエンディングノートを見つけました。


中には預金先の銀行名や暗証番号が書かれていました。


「お母さん、お父さんのところに入れたら分からないよ。」


そう呟いていました。


「お父さんは、本当に探し物が下手やな〜。」


妻に言われている気がしました。


先入観から見つけるまでに2か月かかってしまいました。


「やっぱり、お母さんはしっかりしているな。お父さんは探し物が下手やね。お母さんがいないとダメだわ。」


遺影の前で妻に語りかけました。


何か妻の気持ちが分かる物はないかと携帯の中を探し、何か手紙のようなものはないかと探していましたが見つかっていませんでした。


しかし、エンディングノートの中には、『大切にしているもの 涼介 お父さん』と書かれていました。


見た瞬間、泣いてしまいました。多分この2か月、この一言を探していたんだ、見つかって良かったと思いました。


妻は、できるだけ家にいたい。家族で一緒にいたいと言っていました。家族を大切に思ってくれていた。それが再確認できました。


このノートに書かれた文字で、がんばって生きていこうと思うことができました。


治療方針のところには、状況の説明をきちんとして欲しいとチェックが入っていました。


妻もそれを望んでいたと思いますが、私には「もう家には帰れない。」と言うことができませんでした。「必ず家に連れて帰ってやるかはな。大切なことで嘘をついたことがあるか。」そう言ったことが正しかったのかどうか今も考えてしまいます。


亡くなる前日も普通に話ができていたので、そんなに急変するとは思いもよりませんでした。主治医の先生も大袈裟に言うな〜と思っていました。しかし、主治医の先生の見立てが合っていました。


亡くなることが分かっていたら、伝えたいことがあったのではないかと思ってしまいます。多分言ったら言ったで、何故言ってしまったんだろうと後悔しているかもしれません。


でも、妻は。お金の置き場所を知らせてくれた直後、安心したように息を引き取り、穏やかな顔をしていました。


亡くなったあとのことまで考えてくれていた。本当に私にはもったいないくらいの妻です。


傷病手当、高額療養費の払い戻し、遺族年金などの手続きも終わり、残す手続きもあと少しになりました。


今夜は息子が好きだった麻婆豆腐のレシピをエンディングノートに残してくれていたので2人で食べました。「お母さんの味だね。」2人で話しました。






先日には海水浴に行ったのですが、途中にある大窪寺にお参りに寄りました。



ご本尊様が薬師如来様であることを知っていましたし、妻とも何度も来ていたこともあり、49日の週に参拝しました。


「妻に万能役をお願いします。元気な体になって極楽浄土に行けますように。」と2人でお祈りしてきました。




「お父さん涼介大好き。でも、お母さんはもっと好き。」


いつも言っていた言葉、妻に届きますように。