こんにちは! 平尾龍之介 です!
ご無沙汰し過ぎてます。爆笑 
大変遅くなり申し訳ございません。
人生で最後のブログになると思います。 

私はインカレ(8月末)を最後に大阪成蹊大学フットサル部を引退しています。
 引退してから半年が経ちました。
 22年間フットボールしかしてこなかったので、ここまでボールを真剣に蹴らない日は無かったです。
引退して1週間で、すでにフットサルが恋しかったです。爆笑
フットサルもそうですが「大阪成蹊大学フットサル部の部員みんな」のことが恋しかったです。泣
本当に仲が良かったので。。。
プライベートでは恋し過ぎてよくご飯に誘ってました。(奢らされていました爆笑) 


私はフットボールに育ててもらった人生です。
全てのことをフットボールから学んできました。
「スポーツ」と言うものは色々な物を与えてくれます。
スポーツをしていない自分を想像するとゾッとします爆笑
 自身は俗に言うエリートタイプでフットボールを行ってきた選手ではありません。
9割結果が出ずにもがいて来た選手です。
本当に苦しい時期が続いていました。どの年代でも。


高校生の時、人生で1度目の完全な挫折を経験しました。
周りの選手のほとんどがJ ジュニアユース上がりの選手でした。
中には、久保建英選手とスペインでプレーしていた選手など。。。 本当にレベルが違い過ぎました。
そして、、、
技術、メンタル力が低すぎ大阪に帰って来ました。(17歳) 
この時、ボールを見るのすら嫌になっていました。爆笑 

「もうサッカーはやめよう」
「第2の人生を歩もう」

と前向きな感情でなくネガティブな感情で考えていました。
大阪に帰ってきて何もしていないのはやばい。
何かしないといけない! 当たり前ですよね。爆笑 
知人の紹介でフットサル施設のアルバイトを始めました。(18歳)
当時店舗に在籍されていた、私の人生を悪い意味でもいい意味でも作った人 『山口 達暉』選手(ヤマグチ タツキ)(現在所属 F2 リガーレヴィア葛飾) この人に出会い人生が変わりました。



 
 自身が進学か就職を悩んでいるときに、「龍之介、成蹊おいでや」と当時あまり 仲良くなかったのに言ってもらいました。爆笑
そこから色々経て、大阪成蹊大学に入学しました。
 本当に タツキさん には可愛がってもらってます。(現在進行形) 
自身が父親と大喧嘩をして1ヶ月家出をしている時期がありました。
成蹊の昼練が終わり、タツキさん にご飯誘って頂き、いつもふざけている タツキさん が自身に対して真剣に「龍、大人になれ。謝って家帰れ」と真剣に言われたことは今でも忘れません。
その言葉がきっかけで平尾家に戻ることができました。爆笑

在学中一番しんどかったタツキさんとの大喧嘩。
1〜2ヶ月は口を聞いてくれませんでした。
大好きな先輩が鬼のようでした。
今でも部員から言われます。「あの時期の龍くんとタツキさんはやばかった」
もー辛すぎましたね。爆笑 忘れもしません。
ある練習の給水中に自身が「タツキさん電車すか。一緒帰りましょう」
と2ヶ月ぶりぐらいに喋りました爆笑
成蹊の正門で
平尾「すみませんでした。自分がガキでした。ごめんなさい」
山口「ええよ。お前からその言葉聞きたかった」
カッコ良すぎるやろ。
多分、俺はその瞬間泣いてました。爆笑
本当に現在でも大好きな先輩です。
自身が目指している先輩像もこの方からです。
タツキさんが引退してあまりにも恋しすぎて12月(23年)に1人で東京へ行きました。爆笑


時は早く過ぎ、気づけば4回生です。
中村魁(ナカムラ カイ)(現在所属 F1 SHINAGAWA CITY)の代が残してくれた22年度の日本一位。 優勝。


本当にスポーツをやっていて良かったと思える瞬間でした。
自身の年代の世代になり去年が凄かっただけに正直プレッシャーは凄かったで す。
これは、自身だけでなく部員全員が思っていた感情だと思います。
インカレ3日前まで自身のコンディションが上がらず、よく無い時期が続いていま した。
終いには、3日前に 菊地尚人(キクチ ナオト)(現在所属 F1 湘南ベルマーレ フットサルクラブ) と練習中に大喧嘩。(その後仲直りしてご飯行きました) 



家に帰宅して「なにしてんねんやろ俺。」とマジで寝れませんでした。
自身のせいで最悪の雰囲気でインカレ2日前突入。
 2日前の練習前にゴリゴリに部員全員に謝り倒しました。
 「もー龍さんなにしてんの〜」となごましてくれた部員のみんなには感謝しかない です。

そしてインカレ初日。
自分は選手のクオリティーも低ければ、結果も出していませんでした。
しかし、誇張なしで誰よりも「気持ち」の部分では1番だったと言い切れます。
タツキさんの代が残してくれたインカレ優勝。
絶対に2連覇して先輩の努力を無駄にしたくない。ここで負けてしまったら、また1から日本一を取らないといけない。
私自身は特に可愛がってもらっていたのでここの気持ちが凄かったです。


誰にも言っていないですが、自身の母親が高齢で病気を患っているのでいつ亡くなるかわからない状況です。
自身の漢としての姿を見せて親孝行をしたい気持ちが強かったです。
自身が22年間フットボールを続けて来れたのは、母親の存在です。
これは言い切れます。
なんとしても、自身が結果を出し優勝してる姿を見せたい。

冒頭でも話しましたが自身は、常に結果を出し続けている選手でもなければ、絶対的な選手ではないです。
自身のスポーツ選手「漢」としての美学は「1つのことをやり続ける」 これを続けても結果が出ない選手がほとんどです。
それが自分でした。
この自身の美学が芽生えたのは高校時代の挫折の経験からきています。
本当に悔しかった。
前回のブログでも書きましたが、この取り組みをやめてしまったら、自身を慕ってくれている部員の気持ちを裏切ってしまいます。

どんなに辛いことがあっても
「やり続ける」
私はこの先に見えるものが
必ずあると思い
22年間続けて来ました。

インカレ1回戦、順調に勝ち進み初戦突破。
本当に部員全員の気持ちが1つになっていたので負ける気がしませんでした。
良くどんな記事でも書かれることですが、冗談抜きで、あ、これ優勝するわ。 と慢心しているわけじゃないですがその感情になっていました。
言葉に表せない気持ちが大阪成蹊大学フットサル部から伝わって来ました。

インカレ準決勝 立命館大学戦 
立命館大学では北海道で行われた冬の全国大会での決勝で2位準優勝。 
代替わりの1発目の大会だったので本当に悔しかった。
誇張なしで人生で1番悔しかった瞬間でした。 

ここまで個人として大きな結果を残せていなかったのでなんとしても1発ぶちかましたい。
22年間で1番と言ってもいいぐらいの得点を決めることができました。

決めた瞬間、あ、、、「やり続けて良かった」涙 
本当にここまで辛い道のりでした。
22年間ですよ?長すぎるやろボケ。爆笑
本当に自分の美学がやっと結果で帰って来ました。

 ベンチ選手、応援席、の喜んでくれている姿。
あの光景を見たらフットサルはたまりません。
 結果的に勝つことができ決勝進出。( ヒビキ のスーパーゴラッソで全部持ってかれました。爆笑)(ヒーローにさせろや)

決勝 多摩大学戦
日本一位をかけた舞台にたまりませんでした。
入場からやばかったです。



自身はこのインカレを最後に引退を決めていたのでフットボール人生ラストの40分。
先制したものの逆転されるなど最高の試合でした。
結果 5−3
日本一 2連覇
タイキ のPP返しの5点目が決まった瞬間は泣いてました。爆笑 
試合終了の笛が鳴った瞬間「22年間が終わった」と最高の最後でした。


部員全員でやるトロフィー胴上げ。カチロコ。
この瞬間のためにスポーツを続けていました。最高。 

引退を日本一という形で終われたのは感謝しかないです。


決勝終わり、父親の車で帰宅していました。
帰宅途中、父親がコンビニに行き、 社内では母親と二人っきり。
横を見ると母親爆泣き。爆笑 
「22年間お疲れ様。よく頑張った」 と言われた時は流石に泣きますよね。爆笑(マザコンではないです。) 
選手としては最高な形で親孝行できたのではないかと思っています。
長々すみません。爆笑 


本当に自分が心の中で決めたことをやり続ければ結果が出なくとも見える景色 がある事を大阪成蹊大学フットサル部で学びました。
この経験は必ず自身の人生第2章に生きます。
確信しています。
この大阪成蹊大学フットサル部の方々が見せてくれた光景はやり切った選手に しか見えない光景だと思います。
言い方が悪いかもしれませんが、やり切って身を捧げたやつの特権だと思います。


佐藤監督 には感謝しかありません。
自身がピヴォであるのにも関わらず点が取れない時期が続いても使ってくれまし た。
最後の大会で少し応えることができ良かったです。問題児ですみません。爆笑 
引退式の後、

「やり続ける行動の凄さ」これは龍を見て
改めて再確認させられた。素晴らしかった。

と言ってもらった時は本当に認められて嬉しい瞬間でした。



日本代表も経験されている方に「漢」として認められるのは人生のモチベーションに繋がっています。
 トオルさんから言われた「理不尽を受け入れる」これは自身の胸に今も言い聞か せています。


大阪成蹊フットサル部の部員にはリスペクトしかありません。


大学生はいい意味でも悪い意味でも時間があります。
その中でも自分を律して「フットサルに取り組む姿勢」は選手としても人としても尊敬しています。
この年代だからこそ律して取り組むのが難しいと思います。
怪我なく元気なみんなの今後の飛躍を願っていま す。


最後に自身のフットボール人生に携わってくださった皆様に感謝しています。 
誰か一人でもかけていたらこの景色は見ることが出来ませんでした。

「1つのことをやり続ける」
これはやり続けた人にしか
見えない景色があります。

最高のフットボール人生でした。
本当にありがとうございました。


大阪成蹊大学フットサル部 平尾 龍之介