お久しぶりです!
横田 翔(よこた しょう)です。



今回は卒業ブログということで、私の濃い4年間を可能な限りお伝えできればと思います!

長いですが、最後まで読んでいただけると幸いです🙇

まずは、先日岸和田市総合体育館で行われました全日本選手権vs名古屋オーシャンズ戦、沢山の方が会場にお越しくださって、来れない方もライブやメッセージを通して応援してくださり本当にありがとうございました❗️


会場に来てくださった方の中には、保護者の方々や友人、大学の関係者等や、アルバイトを通して出会った子供達や地域貢献活動を通して出会った子供達など、他にも本当に多くの人が、しっかりと[青い服]で、最後の最後まで温かく熱い応援をしてくださり、すごく力になりました。
そして、本当に感動しました。




更には、私が今日に至るまでたくさんのサポートをしてくださった方々や、大学等でお会いした際に毎回「頑張れよ」とお声をいただきました大学の関係者の方々、本当に毎回私の力になっていました。
ありがとうございました🙇



そして、行き当たりばったりで勢い任せの私にたくさんの愛と教えをくださいました亮さん、磯さん、尾下さん、秀さん、駿斗さん、武井さん、アゲさんや、生意気な私の行動を認めてくださった先輩方、とんでもなくうるさかったはずなのに一緒に闘ってくれた後輩達、そして苦楽を共にしいい時も悪い時も常に一緒に乗り越えてきた同期のみんなには、感謝の気持ちと大好きという気持ちでいっぱいです。



ここでは書ききれていませんが、関わった全ての人に感謝しています!


皆さんがいなければ、本当に今の私はないと思っています!
皆さんと出会えて本当に良かったです!


ここからは、4年間を振り返りたいと思います。

【1回生】
私が入学した頃はまだ大学日本一を取ったことのない大学でした。そんななか、私はこの大学に、「日本一を取る」という思いを胸に入学しました。
最初のオリエンテーションで、「大学日本一を取る」とたくさんの先輩方の前で宣言したことを今でも鮮明に覚えています。

ただ、そんなに甘くはなく最初頃はセカンドチームに登録され、1年生のインカレ大阪府予選ではそもそも登録メンバー外でした。

しかし、「このチームの力になりたい」「先輩方を優勝させたい」という思いが評価されインカレ全国大会のメンバーに入ることができました。
直前のメンバー争いをかけた紅白戦は今でも覚えています。笑

メンバーに入った私はただ必死でした。
当時1回生の私は、この大会を知らないしフットサルの経験も少ない。
ただ知っているのは過去に大阪成蹊大学フットサル部がこの大会で悔しい思いをし続けていることでした。

そんな大会の歴史を変え、目標を叶える事に取り憑かれたように行動し、当時はコロナ禍だったのでその中でのリズム応援を考えたり、チームの士気を高めるためにブラジル体操を提案したりしました。



※気づけばブラジル体操はインカレのお守りのように4年間やり続けてました!笑

今思えば、これらの意見や行動を「やろうやろう」と賛成してくださった亮さんや当時主将のカイ君をはじめとする先輩方がいたから、今の私の行動力につながっているのかなと思います。笑

そんなこんなで、チームは大学初の日本一を成し遂げることができました!
実感はありませんでしたが、本当に嬉しかったです。
本当だったら主将が掲げる賞状を何故か私があげさせていただきました。



この経験が私の1つのターニングポイントだと思います!
※4連覇という目標が明確にできました。
人生初の表敬訪問では、市長の前で4連覇を宣言しました。笑




あと、1年生で出場した東京フェスティバルは私をプレーヤーとして大きくしてくれた大会です!
セカンドチームで、当時2回生のリン君ナオト君レイ君達と1回生を中心に出場しました。
その大会で活躍しなければ来シーズントップチームに登録されることはないと思っていたので、絶対チームを優勝させてやるという思いで大会に挑んでいました。

その当時は、一緒に出場していた2回生の先輩方にはとても厳しくうるさい事を言い続けたりしていたと記憶しています。
本当にすみませんでした🙇
ですが、それを受け入れてくださった事が今の私につながっていると思います!!

結果は決勝で敗れましたが、1発トーナメントを経験したり、プレーシャーの中で試合ができた事でプレーヤーとして大きく成長できたと感じています。

【2回生】
2回生になり、後輩ができました!(今の那月達の世代です)



私は、インカレを2連覇する。という強い思いのもと日々を過ごしました。

チームが前に進むため、私の役割は何かと探し悩み続けていたことを覚えています。

この時、現主将の那月とベンチでずーと声を出していた事が今になってはすごくいい思い出です笑

あとは、自分の役割はチームに熱量を与える事や要求をし続ける事、言い方を変えれば嫌われる事をする事が私の役割だと思っていました。
当時は、周りが全く見えておらずただチームの為という思いのままに発言や行動していて、1つ下の代の数名の選手には、ごめんなさいでは通用しないくらい酷い事をしていました🙇
(みんなごめんね)

ただ、チームが2連覇するというものに対して全員が1つになり2連覇を達成しました!!



その大会が終わった頃、世代交代の際に副キャプテンを任せてもらうことになりました。
ご想像の通り、私が先頭集団に立ってまとめるなんて全くできません。笑
ただ、当時主将の 欣ちゃん を見て学ぶことに必死でした。
そんな私に 欣ちゃん は「横田は好きなように動いていいよ。カバーは タケル欣ちゃん でするから」と言ってくれました。
その2人がいたおかげで、何も考えずただ熱量だけでみんなにぶつかっていくことができました笑



そして、プレー面だけでなくチームの裏方の仕事にも沢山触れていくようになりました。
そこではじめてチーム(組織)には誰かが自己犠牲をはらって、行動しないといけないことに気づきました。



【3回生】
沢山感情が揺れ動いた1年でした。

その当時は試合に出たいという気持ちとは裏腹、ずっと2番手だった事にすごく悔しさや焦りがありました。
しかし、他にもメンバーにも入れておらず、悔しい思いをしている中必死に闘う仲間の姿が私の原動力だったように思います。

そんななか、3連覇をかけたインカレが始まりました。
私自身も3回目のインカレで、チームのちょっとした変化や隙に気づくことができるようになっていたように感じます。

そして、とんでもないプレッシャーと闘う4回生の気持ちもなんとなくわかるようになっていて、どうしてもこの先輩方を勝たせたい、そんな思いで大会に望んでいました。

私にとって準決勝という舞台はすごく思い出に残る試合になりました。
順天堂大学とPK戦までもつれる白熱のゲームとなりました。
それまで1分もピッチに立っていない私がPKGKとして試合に出場することになりました。



当時は頭が真っ白状態でしたが、唯一覚えていることは大阪成蹊大学のチャントと仲間からの「翔!」「横田!」という声でした。

あのPKストップは、本当に仲間のみんなの思いが私に宿り、止められたんだと今でも思っています。
そして、この頃からチームのために闘うことの素晴らしさと楽しさ、そして幸せさを知りました!



そしてチームは3連覇❗️
それと同時に、私はキャプテンになりました。
当時は不安しかありませんでした。

覚えているのは 欣ちゃん だったらどうするかという事を考えながら過ごしていた毎日だったことです。

ただ、誰よりもこのチームを4連覇させたい。
勝たせたい。
強く良いチームにしたいという思いはありました。
その思いを胸に新チームがスタートしました!

はじめてキャプテンとして迎える地域CLでは、亮さんが初戦不在の中チームのみんなで話し合いを進めながら試合へ臨んだ事をすごく覚えています。
あと、決勝戦前のメンバー発表をする時に大きな声を出してはいけない場所で 亮さん が感極まって大声をだし、それに続いて選手みんなも大声でハイタッチをし、その瞬間に怒鳴るような声が鳴り響き、怒られ、さっきまで泣いていた 亮さん が一瞬で切り替えて謝罪しに行ったことは今思い出してもおもしろいです笑

そんなこんなでチームは地域CLを優勝し、その時人生初の胴上げをしてもらったその景色・瞬間は最高でした!



忘れられないのは、全日本選手権もそうです。
長すぎて書ききれませんが、チームはペスカドーラ町田相手にPKまでいきました。
しかし、止められず、敗退しました。
悔しいどころの話じゃありませんでした。



ただ、来年必ずやり返す事
先輩の 野中りょうたくん と約束しました。



【4回生】

そして4月になり、先輩もいなくなり最高学年としての新チームがスタートしました。
それと同時に監督も変わりました。



不安でした。
とにかく不安で、何が正解かもわからなくなった時期もありました。

何故不安だったか、それは4連覇がかかる大会がもう目の前にある中でシーズン当初は結果もついてこず、やる事も沢山変わり、その環境に適応していけるのか本当に勝つことができるのかという不安がずーとある毎日でした。

とにかく毎日が必死でした。

そんななか迎えた大阪府予選

例年よりも時期が早まったこともあり、その当時のチーム状態を考慮すると本当に怖かったです。

その数試合は、本当に成蹊の意地が全面に出た試合だったなと思います。
なんとか全国大会への切符を勝ち取りました。



スタートラインに立った気分でした。

そして様々なアクシデントを乗り越え、迎えた最後のインカレ。

今大会を迎える上でチームのみんなで合言葉を決めました。
それが「尽くせ」です。

今大会はまさにこの「尽くせ」が体現された大会となりました。

大会直前、4回生が怪我で試合に出場できなくなると言ったアクシデントがチームを襲いました。
普通だと、これはすごくマイナスに働く要因です。
ただ、このチームは違いました。

怪我した4回生は、悔しい思いを押し殺しチームの勝利のために、自ら分析班に志願したり、広報の活動に専念しました。
そして仲間に思いを託しました。
松原聖々希松友亮輝吉迫武隆



そうです、まさに「尽くせ」という言葉に相応しい行動をとり、この状況をプラスにしたのです。

正直泣きました。
彼らのために勝つ。
いつの間にか4連覇というプレッシャーは、一切無くなっていたように思います。



そんなチームの想いがピッチにそのまま現れ、史上初の4連覇を達成しました。
幸せでした。
最高でした。
全てが報われた気分でした。



大学祭や表敬訪問など、様々な場所でお祝いしてもらい、改めてたくさんの人に応援され、支えられている事を実感しました🙇

ここからチームはインカレ4連覇の自信と共に少しずつ変わっていきます。
次は地域CLと全日本選手権
もっと難しくなります。

そして監督の要求もこのタイミングでより高いものに変わっていきました。

キャプテンが 那月 に交代して迎えた地域CLは、決勝で敗れ連覇する事ができずに終わりました。
那月を私と同じ舞台で胴上げしてあげられなかった事を本当に悔しく思います。
(後輩達が5連覇した時に 那月 の胴上げに参加したいです。)

そして、最後の全日本選手権、大阪府と関西予選をなんとか勝ち上がり、抽選で決まった相手は…

絶対王者の名古屋オーシャンズでした。
正直な話、ボコボコにされて負けると思ってしまいました。

ただ、磯さんが本気で勝つ事を1ヶ月半常に言い続けていました。そしていつしか周りのみんなも、勝つという事が前提での話しかしなくなりました。
少しずつ、本気でフットサルに向き合おうとする選手が増え、勝つために最善の準備をしました。

それは試合に出る選手だけじゃありません。
試合会場にバスで到着すると目の前に広がっていたのは、バス待ちで応援チャントを歌い続けるみんなの姿でした。

自分達で企画し、朝早く集まって選手のモチベーション向上、1%の勝率を上げるために行動してくれました。

「これが大阪成蹊です」
本当に強い理由はここにあると思います。

おそらく2回生の 井上智貴 が主体となって考えてくれたんだと思います。
こういった発言や行動を本当に大切にしていってほしいなと心から思います‼️

名古屋戦は延長までいき敗戦しました。

本当に勝てたと感じています。
ただ、それ以上に大きな差が本物(名古屋)と比べるとあったように感じます。



ただ、最後の最後まで本当に幸せでした。
3/14までこのエンブレムを背負って成蹊のみんなと闘えたことは本当に私の財産です。

殴り書きのように色々お話ししましたが、振り返ってみるとトーナメントが強すぎるように感じます。

一発勝負は何があるかわからないので凄く難しいです。
しかしこのトーナメントに勝っているのはこのクラブのチーム力だと思います。
そしてこの"チーム力"こそが大阪成蹊の1番の強みだと思います!

「FOR ARE THE TEAM」
「尽くせ」
これらを誰もが体現できる事こそが成蹊の強さの秘訣だと思います。

これから成蹊はFリーグクラブに勝つチームを目指しチーム作りがスタートすると思います。
その中で個人の取り組みや姿勢がこれまでと違った形で求められることも多くあると思いますが【チーム力】これだけは忘れずに大切にし、応援されるチームを目指して更なる飛躍をし、どんどん歴史を塗り替えていって欲しいなと心から願います!

最後に、私が過ごしたこの4年間の様々な経験や思い出は決して1人でできることではありませんでした。周りの方々のサポートはもちろん、4年間の中で関わった先輩や後輩、スタッフ、同級生のみんながいたからできたことだと心から思います。



1人じゃ達成することができなかったものをみんなと一緒に沢山出来たことが私の一生の財産です!
みんなと出会えて本当に良かった。
4年間本当にありがとうございました🙇‍♂️

今後は、BEAMSというアパレルの会社で働くことになります。大学生活で感じることのできた人の心を動かす事をまた違った角度から実現させていきたいと考えています。
社会に出ても、沢山の人に笑顔・勇気・感動を与えられるそんな人であり続けたいなと思います!

今後とも大阪成蹊大学フットサル部と横田翔をよろしくお願いいたします❗️