実家を片づけるということ | おうちおやつ暦

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こんな日にはこんなおやつで寛いでもらえたら…と、
“おうちおやつ処”がつくる、おやつの練習帖です。
暦のこと、移りゆく季節のこと、お菓子に関係ないことも書いています。

実家の片づけは半ばで

いきなりペースダウンしています。

きっかけは夏風邪をひいたこと。

熱が高かったのは1日だけでしたが、

2週目になるのにまだしゃきっとしません。困ったものです。



滞っているこの機会に一度、

母が亡くなってからのあれこれを

振返ってみました。


事務的な諸手続きは

母の公的な存在の証をひとつ、

またひとつと消し去る作業にも思えて、ほんとうに辛いものでした。


なのに

なまじ事務仕事の経験があるので

気持ちとは裏腹に

さくさくと手際よく出来てしまう

自分が嫌でした。


また、

亡くなったひとの遺品を片づける、

ということは はからずも

そのひとの人生に

向き合うことなのだと実感しました。

何を大切に生きてきたのかを

知ることになる。

知らなかったことも

たくさん知りました。

母は知って欲しくなかったから

遺品整理業者さんに一任しなさいと

言ったのかもしれない、とも

ふと思いました。


私自身は

亡くなったひとたちの真摯な生き方を

知ることが出来てよかったと

思っています。


そして、思い出の品々を処分するという行為は思っていた以上に心の負担になるということ。

ものにはそのひとの思い、

私の思い出が濃厚に残されていて

棄てるにはしのびない。

断捨離ではないのです。


もうひとつ。

ひと様に差し上げたり、

寄付をするのは難しい、ということ。


寄付をするには人間関係、情報収集力が必要だと痛感しました。

寄付については

活動を支援する(寄付金)とともに

活動に役立つものを提供する、

という認識が必要だと、

改めて感じました。

私が寄付出来たのは、

お世話になった訪問介護の会社に

未使用のタオルと紙おむつなど。


差し上げることが出来たのは、

友人のお茶の先生に

練習用にお茶碗を幾つかと、

着付けの先生をされている方に

見分けがてら数枚の着物と反物、

でしょうか。


今回はリフォームを担当してくださった工務店の担当者の強い意志があり

(工事の邪魔になるので)

かなり厳しく進めてくださったので

ここまでこぎ着けることが出来ました。


親の家を片づける、ということは

大変なエネルギーが必要で、

ストレスもかなりなものです。


後悔を残さない介護はない、

そうですが

片づけもそうだと思います。


事情があって手伝えない

兄弟姉妹に対するもやもやを

感じたりもします。


祖父母、父母への思いは

また、あらためて。