最近長男がちょこちょこ外出している。
どこへ行っているのかは分からないが
今年に入ってから少し活動的になってきたように思う。
先日の夕方、私が仕事から帰宅すると台所に長男がいた。
この日も出かけていたようだった。
どこか行ってたん?
今帰ってきたところ?
長男は「うん」と返事するやいなや
中庭との境のガラス戸を開けて
「これな、木が化石化したものみたいやねん」
と30㌢程の棒状の塊を指差した。
一体それは何?
友だちと近くの河原に遊びに行っていて見つけた物で、
スマホで調べて木の化石じゃないかとの結論に達したらしい。
へ?
これが?
しかし否定はするまい。
まず話を聞いてみよう。
喜んで帰ってきたのに私の意見を先に言うまい。
言葉を選ぶ。
確かに木目はある。
雨風にさらされて風化しているように見えなくもない。
これを見つけた時わくわくした?
いっぱい調べたん?
こんなのどうやって持って帰って来たん?
とても嬉しそうで、声も弾んでいて、この発見を誇らしく感じているのだろう。
ちょっと触ってもいい?
その物体を観察してみる。
私にはこれの元の姿が到底「木」だとは思えない。
どこかの庭などで使っていた装飾品が捨てられていたのではないかと想像する。
重すぎるし堅すぎる。
これって木なんやろか。
作り物と違うのかな?
そうかなぁ?
ちょっと長男の声のトーンが下がる。
背後で夫が「何でも拾って来るなよ」というようなことを言っている。
やがて長男は、今日一緒に行っていた友だちにこれをあげると言った。
その子はこれをもらってくれるの?
元の場所に返してきてくれたらいいのに…
なんだか私はショックだった。
長男の精神状態はやはりちょっと普通ではないのか…。
これを化石だと信じきっていたのか…。
小さな頃から何かをよく拾って来る子だった。
長男の目を通すと道端にも遊びに出た先にも宝物があふれていたのだろう。
心はその頃のままなのだろうか。
少し冷静になった長男は
散歩途中で木の枝なんかを咥えて帰ってくる犬と自分は同じなんかなぁと言った。
自嘲気味な声だった。
夢を壊してしまったかな。
本物だろうが偽物だろうが、そんなことは関係なくて、一緒に喜んであげられたら良かったのだろうか。
ここのところだな。
幼い頃から長男の気持ちを受け止めきれていなかった私。
子どもの頃に「いいね」「良かったね」と言える母親だったなら、もっと長男は違っていたのだろうか。
過ぎ越し日々は戻らない。
すっかり大人の年齢となってはいるが、
今からでも内面を満たしていくこと、
ありのままの自分を身近な人に家族に認めてもらうこと、
その積み重ねでしか
次の段階へは進むことができないのだろうと思う。
このままでいいんだよ。
長男に対してそう私が本心から思えないことには、何も変わってはいかないのだろうな。
あの物体は当分あのまま中庭に置かれるのだろう。
目にする度に私の心はちくりと痛むが、せめてもの救いは長男が元気なこと。
その後も干し芋を制作したり、カルボナーラを作ったり、バナナケーキを焼いたりしていて、食べたいという意欲、生きる意欲が見られることはとても有難いと思う。
欲張らず、焦らず、今をともに暮らせていることを喜ぼうと思う。
そして長男に遠隔レイキを送り続けていこうと思う。