数年前の夏、施餓鬼法要の受付役でお寺の本堂にいた時、高校の同級生がお参りに来た。
法要が始まるまでの少しの時間、久しぶりねと話をしていた時に同級生のグループラインが出来ていると教えてくれた。
招待するねと言われ、ちょっと迷いながらも仲間に入れてもらった。
そのラインは高校生当時の目立っていた子、花形だった陸上部のメンバーたちが主に交流している場のように思えて、最近は年始の挨拶くらいのやり取りだったが、私はイチ傍観者でしかなかった。
そのラインに
今年大きな節目を迎えるので同窓会をしようとの声を上げてくれた男子がいた。
その子の名前はしんちゃん。
どうもこのラインもしんちゃんが立ち上けてくれたもののようだった。
はるか昔のこと。
名前はよく覚えているが、卒業以来会ったことがない。
確か坊主頭でメガネをかけていて、野球部だったか陸上部だったか…という記憶。
現在住む市町村名と開催時期の希望等の簡単なアンケートをそのラインでとってくれていた。
返信するのはやはりいつもの決まったメンバー。
私などお呼びではないとの気持ちから、この度も様子見状態だった。
しかし、心の中はモヤモヤしている。
呼びかけて、声を上げているのに反応のないことがどんなに悩ましいことかがよく分かるだけに、出欠はともあれとにかく返信しようと勇気を出した。
◯◯市在住 旧姓◯◯
覚えていてくれる子はいるのかな?
その日、その後に何人かの人が返信していた。
みんな様子見だったのだろうか。
たった三年間を共に過ごしただけなのに、その後の人生の方がずっとずっと長いのに、当時の力関係というのか、パワーバランスというのかをずっと持ち続けているものなのだなと感じた。
そして同時にしんちゃんに個人ラインをした。
あれこれとお互いの近況なども話しながら、しんちゃんはなんとしても同窓会を実現させると言った。
同級生は270人。
グループラインに入っている人はまだ50数人。
光に還った人も数人。
携帯もなかった頃の卒業生たちだから、現在の連絡先がつかめない。
しかし同窓会名簿の存在していた時代。
実家の住所は載っている。
けれどもみんな親は高齢になりつつあり連絡の中継なども難しいことだろう。
私は身近なところから電話をしてみた。
年賀状のやり取りだけでずっと来ていて、声を聞くのも何十年ぶりになるのだろうか。
手短かに要件を伝え、携帯番号を教えてもらう。
ラインをつないでグループライン上のアンケートを転送する。
返事はもらえたが、グループラインに入るのは遠慮しとくわ、との声も多い。
その都度しんちゃんに報告して、またしんちゃんからも現在何人から返信が来ているとの連絡が入る。
発起人でもないのに、出しゃばっているかなと思いつつも、自分の気持ちが向く方向に動きたいとも思う。
思い切って電話をした友人たちは、知らせてくれて有難うと言ってくれる。
まさかこうして再びラインでやり取りができるようになるとは、近況が分かるようになるとはとお互いに驚きつつも嬉しい日々となっている。
一方、すでにグループラインに入ってはいても返信していない人もいる。
それはそれでその子の意思表示なのだと思う。
私はだけではなかったのだな、高校時代、それぞれに色々と思うところがあったのだろうなとも思う。
私にとっての高校時代は、自分の中で封印したくなるような思いが強かった。
勉強も部活も全力を出すことなく中途半端だったという思いが残っているからだ。
けれども今も途切れず交流のあるのは部活の仲間。
折に触れ集まってお喋りしたり、お花見もしたなぁ。
今も一生の友だちとなっているのは、あの高校に行ってともに部活をしていたから。
そう思ったら、高校時代も悪くなかったのかと思えた時から、何かが吹っ切れたように感じ、この度の同窓会に向けての連絡先をつないでいくことも、喜んでできているように思う。
一日にひとり、誰かに連絡を取ろうと決めている。
そう決めて動き始めたら不思議なことに、職場の同僚が同級生の妹だったことが分かってお姉さんの連絡先を教えてもらえたり、知り合った人の娘さんが同級生だと分かったり。
少しずつ、連絡を取れるようになってきている。
ひとりがひとりに連絡を取ってもらえたら、誰かが誰かとどこかで繋がっているのだろうと思うのだけれど、みんな忙しいからそう簡単なものでもなさそう。
その気になって動いてもらうのは難しいことのようだ。
けれども私は自分のできるところから、地道に動いていきたいと思っている。
つい先日まで封印したい高校時代、と思っていたのに、今ではすっかりその気持ちがなくなっていて、すっきりと心が軽い。
同窓会実現までの道程はまだ遠そうだけれど、私にとっては既にもう大きな収穫を得た気持ち。
自分もきっかけ次第で変われるものなのだなぁ。
勇気を出せたり、自信が持てたり。
きっとこれもレイキと出会って、自分の好むところが自分で理解できてきていることも大きいのだろうと思う。