今日は二男の誕生日。
氏神さまの秋祭りの宵宮の朝に生まれた。
立ち会い出産が流行り始めた頃。
三人目にして夫は初めてそばにいてくれた。
取り上げてくださった先生(父親と同世代)は当時、夫と私のお茶のお稽古仲間。
産声を録音して退院時にプレゼントしてくれる、というのが恒例だった。
その録音ボタンを
「◯◯君、ちょっと押して」と先生に言われて慌てた、と夫が言っていた。
私にはあまり記憶がない。
そして、その産声のテープを聴いたことも二男に聴かせたこともない。
宵宮。
翌日の本祭。
病室の窓から階下を眺めて、その賑やかさから、ひとり取り残されたような気持ちになって、寂しかったことを覚えている。
時が過ぎ、二男は彼女とその子どもたちと暮らすようになった。
春になると下の子が小学校に上がる。
その機会に籍を入れるつもりだと言う。
大学を出てから二男は東京に行き、数年間ひとり暮らしをしていた。
一昨年の夏、久しぶりに帰省した折、痩せていて食欲もなく表情が乏しく、その姿が最もしんどかった頃の長男に似ていてびっくりした。
この子まで精神的に参っているのかと思った。
無理せずに帰っておいでと話した。
数ヶ月後「仕事を辞めて帰って来ようと思う」との連絡が入った。
その頃、彼女がこちらから東京まで数時間かけて車を運転して遊びに行っていたと知る。
すごいバイタリティ。
二男はこの彼女に、ぎりぎりのところを救ってもらったのだろうと思う。
退職手続きをし、荷物とともに二男が帰って来た。
しかし、家には帰らずに必要な物だけを持って彼女の家に行った。
持ち帰った荷物だけが家に入った。
それから一年あまり。
今ではすっかり家族になっている。
子どもたちも二男によく懐いている。
このまま暮らすのが自然なのだろうと思う。
今年も氏神さまのお祭りの日が来た。
私たちの町からは地車を出す。
上に乗るお囃子方が
町の子どもだけでは足りなくて、
小学校へ希望者を募った。
彼女の上の子が応募して乗ることになったという。
それを二男から聞いた夫は絶句した。
まだ正式に家族になっていないのに、町の人たちにどう説明するのだ、というのが夫の考えのようだった。
田舎の町。
まだ古い世間の目がある。
宵宮の一週間ほど前から、
毎晩お囃子の稽古が始まった。
二男家族が揃って集会所に来た。
近所の人から「◯◯君の子どもか?」と聞かれていた。
二男は「彼女の子どもです」と答えていた。
腑に落ちない町の人が私の顔を見る。
「もうすぐうちの子です」
と答えた。
隠すこともないし、堂々としていれば良いのだが、困惑する夫の顔を見ているとちょっと複雑な思いでもある。
二男は二男の人生を生きている。
親としてそれを見守り応援したいと思う。
昨夜、子どもをお稽古場所に送ってきた彼女がひとりで家に寄った。
着物の上げのこと、着付けのことなど確認してから、今までの彼女のことや二男とのこれから話になった。
初めて二人で落ち着いて話した。
二男を挟んでの話では、正しく伝わっていないこともあり、疑問点も多々あったのだが、直接話すと「あぁそういうことね」と理解できた。
そして、二男は今、彼女に育ててもらっているのだなと感じた。
子どもがひとり増えた状態なんだろうか💦
あの子、家で役に立ってるの?
世話かけてるだけじゃないの?
心配になって聞く私に
「子どもたちの話をよく聞いてくれてます。一緒にお風呂に入ったら、私の知らない話もしてるみたいです。」
いきなり始まった子育て参加。
二男なりにやっているんだなと分かりほっとした。
まだまだ子どもだと思っていたけれど、それなりに成長し、次の世代を育てようとしている。
私の今までの子育ての成果が、これから二男を通してあらわになっていくのだろう。
私もこれから彼女に、親として、姑として、育ててもらうのだろうと思う。
まずは今晩の宵宮。
そして明日の本祭。
地車を引きながら、一緒に過ごすお祭りを楽しもうと思う。