こんにちは【運の法則】でラクに開運:青樹庵です。
今回は才能について説明します。
読者さんにかぎらず、「適職とは才能を活かせる場所」と考えている人が多いようですが、これは大きな誤解です。
適職と才能は別世界のものなんですよ。
「才能ってなんだろう」分かるようで分からないのは、形が無いし見えないから。
人は手に持って、目で見て確かめられると納得します。
よほどの天才でないかぎり、有るような無いような、きわめてばくぜんとしたものです。
「わたしには、このような才能が有る」と云いきれる人は少ないはず。
「適職」は表面に見えるもの。
「才能」は隠れていて見えないものです。
単に持っているだけでは、けっして表面に現れることはない「埋もれた宝物」なんです。
才能の正体を知らないと、一生使えないかもしれません。
では、あばいてみましょう。
そもそも才能とは、ストレスから生まれるもので、
もしぬるま湯のようなラクな環境で、のほほんと暮らしているとしたら、
けっして表面に現れることはないでしょう。
何かにいじめられる状況になることで、「眠っていた才能が顔を出す」という質を持ちます。
いじめられると書くと、「人」を想像するでしょうがね、相手が人間とは限りませんよ。
ITの特殊な機器かもしれませんし、
科学などの特殊な分野かもしれません。
そうしたところで「何か」にいじめられ、鍛えられて引っ張りだされるものなんです。
このような状態になって、はじめて「適職」の後押しが可能になります。
もちろん優れた才能は、出世や成功への強い戦力となります。
才能が、ストレスによって、より優れたものになると理論付ければ、
さて、翻って人生総体として視野に入れるとどうでしょう。
すぐれた才能を持つ人が、幸せな私生活を送るとはかぎらない。
はい、幸せとは別の次元なんです。
というより、片寄る人ほど、得るものはどちらか一方となります。
才能が評価されればされるほど私生活に問題がでるでしょう。
ここに人生のむずかしさが有ります。
才能が有るほうが良いのか、無いほうが良いのかは、その人の生き方次第だと認識してくださいね。
青樹でした
運命の南ってどんなところなの