間違ったかな | うつ病に負けないよ

うつ病に負けないよ

もとの明るい人間に戻れますように

もとの働き者に戻れますように

穏やかな人生を送れますように

自分の独り言をつぶやきます


20年も家業に捧げてしまい、
間違ってしまったかな。

言わば働き盛り。

人生のいい時期。

何度も
両親にやめたいって言っても、
聞いてもらえなかったからな。

怒鳴られるか、家出されるか、

とにかく
相談にもならなかった。

まったく
話も聞いてもらえなかった。



一生懸命に働きながらも、
いつも違和感があった。



俺のやりたい仕事は
これなのか?



俺は関東に住んでいるのだが、
大阪、名古屋、東京、

どこに
商品の仕入れに行っても、

同業者と接するたびに、



俺はこの人達と
どこか違うんじゃないか?



いつも違和感を抱いていた。

そして、
自分なりに一生懸命にやって、

20年、

いつも違和感がつきまとっていた。


もし、
きちんと相談にのってくれる
両親だったら、

ここまで
うつ病がひどくなるまで、

自分の
違和感を抱き続けることは
なかったんじゃないかな。


両親としては、
自分達が始めたお店を、

俺に継いで欲しかっただろう。


俺は、
商品を売るのは得意でも、

両親の代からのお店を経営するのは
イメージがわかなかった。

どんなに一生懸命にやっても、
あくまで両親のお店だった。

俺のお店という気がしなかった。


俺がお店をやめたい、
他の仕事がしたいと言うと、

すぐに怒鳴る父親、
すぐに家出する母親、

話にもならなかった。


もっと
自分達の息子の気持ちを
考えてほしかった。



母にいたっては、

うちのお店のイメージに合わない
という理由で、

俺が付き合っていた
女性との仲を、

俺が知らないところで、
引き裂いた。



ショックだった。


母は、俺の幸せより、
お店の事を優先した。

それを母にとがめると、
母は家出した。


ショックだった。

ひきょうだと思った。


父は無関心だった。


こんな両親とは暮らせないと思い、

実家のそばのアパートで
独り暮らしを始めたんだ。


実家がすぐそばにあるのに、
アパートで独り暮らしなんて、

近所の人の噂にもなった。



20年


長い年月だ。


今思えば、違和感を抱きながら、
よく頑張ったものだ。

友達もいず、

同僚もいず、

仲間もいずにね。


こんな俺に従業員さんたちは
ついてきてくれた。

違和感を隠しつつ、
一生懸命に働いたからだろう。


父が不動産に手を出す前に、

俺が付き合っていた女性との仲を
母が陰で裂く前に、

俺という人間をもっと
知っておいてもらうべきだった。


話し合いのできない親子が、
自営業など続くわけないだろう。



人生の貴重な20年を
ムダにしてきた気がしてならない。


気がつけば50歳も見えてきた。

いわゆる中年になっている。



俺の人生はやり直せるのか?

「家」から逃げ出せるのか?



もう、親の道具にはなりたくない。

自分の人生を生きたい。


あと何年、
生きているのか分からないけど、

違和感のない人生を生きたい。




親という生き物は、

「子供のために」

という大義名分を掲げて、

子供を道具のように扱う化け物だ。




俺には
それを言う権利があると思う。



今からでも
人生をやり直せるのかなあ。

それを考えると、
悔しくてたまらなくなる。



20年

長かったなあ。