こんにちは。

 

東日本大震災から10年ですね。

死者、行方不明者は2万人を超えたと言われています。

自然の脅威を感じます。

 

あらためて犠牲になられた方々に哀悼の意を表します。

被災者のみなさんに心からお見舞いを申し上げます。
 

 

あの日、私はまだ議員でなく初めての選挙に向けて、

活動していました。

 

計画停電で真っ暗ななか、

帰宅し、娘がロウソクをつけて待っていたことを思い出します。

 

ロウソクと言えば、自閉症の息子はロウソクの炎が好きでした。

 

クリスマスの時、

ずっとずっと見ていました。

 

自閉症の子どもは、

私たちと物の見え方が違うそうです。

 

息子の目には、どのように見えていたのでしょうか。

 

きっときっとたまらなくきれいに、不思議に映っていたのでしょう。

 

さて、3月10日。

 

さいたま市内の県立知的障がい特別支援学校の

PTA会長さんと懇談しました。

大宮特別支援学校と浦和特別支援学校のPTA会長さんです。

 

 

さいたま市内に知的障がいのある子どもたちが小学部から通える特別支援学校は、

2校しかありません。

 

浦和特別支援学校と大宮北特別支援学校です。

 

 

息子は浦和特別支援学校に小学部1年から高等部3年まで12年お世話になりました。

 

私は息子が中学部の時、3年間、PTA会長を務めさせていただきました。

 

ちょうど、息子が高等部2年の時に上尾かしのき特別支援学校が出来て、

大幅な学区編成が行われました。

息子たちは卒業の年ということで、

特別措置で、浦和に残れましたが、

そのときから桜区の子どもたちは大宮北特別支援学校に通うことになりました。

 

市内10区の子どもたちが通う学校は、

浦和特別支援学校には、緑区、南区の子どもたち。

大宮北特別支援学校には、西区、中央区、桜区、南区の一部、大宮区の一部の子どもたち。

上尾かしのき特別支援学校には、浦和区、大宮区、北区、見沼区の子どもたち。

春日部特別支援学校には、岩槻区の子どもたち。

 

 

市の真ん中、ぽっかり空いています。

 

うちの子が通っていた浦和特別支援学校は、

100人規模の学校ですが、

私がPTA会長時代、児童生徒数が200人を超えました。

 

PTAは会議する部屋もなく、

小さな打ち合わせは、昇降口で、

全体の会議はプラザイーストなどを借りました。

 

子どもたちの大好きだった畳の部屋はなくなり、

次々と特別教室が普通教室に変わっていきました。

 

ただでさえ、大勢の人数が苦手な子どもたちです。

過密は本当に苦痛です。

 

あれから15年。

 

状況はますます深刻なようです。

 

会長さんたちが持ってきたくださった資料によれば、

 

大宮北特別支援学校は児童生徒数301人。(さいたま市の子 299人)

浦和特別支援学校は、260人。(さいたま市の子 221人)

上尾かしのき特別支援学校は、360人。(さいたま市の子 236人)

春日部特別支援学校は、349人。(さいたま市の子 99人)

 

来年度はさらに増加するとのこと。

 

受け入れ規模を大幅に上回り、

深刻な教室不足です。

 

一つの教室を間仕切りして使用しているそうです。

 

また、長時間のバス通学の負担も深刻です。

 

特別支援学校の設置義務は、県にありますが、

 

人口100万人以上の政令市で、

 

市立の知的障がい特別支援学校がないのは、

さいたま市だけです。

 

横浜市、川崎市、千葉市は市立知的障がい特別支援学校を複数校設置されています。

 

さいたま市は知的障害児の学校はありませんが、

肢体不自由児の特別支援学校はあります。

 

さいたま市立肢体不自由特別支援学校は2校あります。

 

市長、教育長、どう思われますか?

 

つくりましょうよ、さいたま市立知的障がい特別支援学校!

 

3月10日は、会長さんたちと思いを共有できた素敵な日でした。

 

 

ずっと夢見てきました、さいたま市立知的障がい特別支援学校。

 

議員になりたいと思ったきっかけがまさにこれです。

 

議員になってすぐの一般質問で、この質問をしました。

 

その後、何度も議会で求めて来ました。

 

しかし、さいたま市はゼロ回答。

全くその気なし。

この問題は重い扉が閉まっていました。

 

 

会長さんたちとお話しして、

 

その重い扉が少し開いたような気持ちになりました。