こんにちは。


今日は久しぶりのお天気で気持ちがいいですね。


朝は与野本町駅に立たせていただいて、


それから議会の方に来ています。


5日の日曜日の話ですが、


与野本町コミセンで、


さいたま市学童保育連絡協議会の


議員・行政との懇談会がありました。




この日は、浦和民主商工会の第61回の定期総会も


ご案内をいただいておりましたので、


そちらに参加してから、学童の懇談会に駆けつけるかたちになりました。


5つの分散会に分かれて懇談、


私は、「障害児にも当たり前の放課後を」に参加しました。



あたりまえって何だろう?


障害児者は、まだまだ、あたりまえに生きていけない現実があります。


学校から帰って、お友達と遊ぶ。


あたりまえですが・・・


お友達と遊ぶ障害児はほとんどいないかもしれません。


学校から帰ったら、家でゴロゴロ?


親と買い物?


テレビ?


大人になって働いて(作業所に通う)


3時には、仕事が終わって、送迎バスで帰る。


仕事仲間と出かけることもない。


余暇を楽しむことが一番難しいと言っても過言ではありません。



働いている親は、障害児の時間に合わせていたら働けません。




息子は1歳半から保育園に通いました。


3歳の時、障害があるとわかり、私は仕事を辞めるしかありませんでした。


障害児の療育施設に母子通園をし、


その頃は、レスパイトという言葉もなく、


冠婚葬祭以外は、子どもを預けることはできませんでした。


息子が小1の時でしょうか?


初めて生活サポートの事業所ができ、


初めは行政の支援もなかったから、すごく高い料金だった。


それでも、堂々と「映画を観に行きたいから、子どもをお願いします」と言えるのが、何だか不思議で、何だかやっぱり申し訳なくて・・・そんな気持ちでした。


私が初めて使ったレスパイトは、水泳の試合だったような・・・


マスターズの試合に出るためだったと思います。


その1年後には行政で支援が決まり、手の届く金額で利用できるようになったと思います。


考えてみれば、その昔はうちの子のような重度の障害者は、


学校に通えませんでした。就学猶予、就学免除。


それが今では通うのが当たり前です。


これから先、まだまだ、当たり前をつくっていく必要があるでしょう。



学童保育のことで言えば、


小学校6年までは、学童保育所に通えている障害児が、


中学になったらどうするか?


通常の場合は、中学になれば、学童保育は必要なくなる。


けれど、障害のある子は、留守番ができない・・・


中学になっても通いなれた学童保育に通えるのが一番いいでしょう。


あたりまえに友達と過ごせるように。


障害児を孤立させないように。


そして、退職を余儀なくされる親を生み出さないために。


特にひとり親家庭が増えているなか、この問題は死活問題です。



なんだか、取り留めもなく書いてしまいました。


遅れても参加してよかった。


そう心から思いました。


主催者の方々、参加されたみなさん、ありがとうございました。




終わってからの一枚。


新人の松村議員と。



障害者権利条約も批准しました。


障害者問題、まさに、これからです!