(神奈川県横須賀市長沢)
先日の句会で、
「忌日俳句」には他の「季語」を入れなければならないのか?
という質問を受けた。
その方は別の指導者の句会にも出ていて、その指導者がそう言っていた、というのである。
これは句会でよく出て来る俳句の素朴な疑問である。
「季語」というのは「季節」を表す言葉…、「蝶」ならば「春」、「蝉」ならば「夏」とすぐに季節が浮かび、季感が生まれるが、「忌日の季語」の場合はそうはならない。
桜桃忌(太宰治の忌日)なら「梅雨」、西行忌なら「桜の頃」と思い浮かぶ。
が…、これらはほとんど例外で、多くの「忌日の季語」はいつなのか、ほとんどわからない。
「藤原定家忌」「小野小町忌」「源頼朝忌」「吉田松陰忌」「島崎藤村忌」「坂口安吾忌」と言われても、ほとんどの人はいつの季節なのかわからない。
なので、一句の中に「忌日の季語」の他にもう一つ「季語」を入れろ、と言っているのであろう。
まあ、そういわれればそう思えて来る。
しかし、「忌日の季語」が「季語」として成立しないならば、なぜ「歳時記」に掲載しているのだろう。
大きな「矛盾」である。
私の答えは「忌日俳句に別の季語を(無理に)入れる必要は無い。」である。
先人達は「忌日の季語」を「季語」と認めていたのである。
確かに、多くの「忌日の季語」の時期は知らないが、それは知らない方が悪い(笑)。
少なくとも、江戸時代の俳諧師・俳諧愛好者たちは、俳句の基礎知識として、「漢文」「和歌」を含む「古典」を多く学んだ。
われわれも常に「歳時記」などを日々めくるようにすれば、全ての「忌日の季語」、正確な日付を覚えるのは無理としても、だいたいの季節は把握出来る。
また、どの「忌日の季語」がメジャーで、マイナーかは人に拠る。
議論してもきりがない。
歳時記に載っている「忌日の季語」であれば、みんなメジャーとして考えるべきだ。
それに句会に歳時記、季寄せを持参し、その場で調べれば済む。
まして今はスマホですぐに調べられる。
結論として「知らない方が勉強不足」なのである。
もちろん、マイナーと言っては失礼だが、「歳時記」に載っていない人物の忌日俳句には、季語を入れたほうがいい。
あともう一つ、気になるのが「外国人の忌日」をどう扱うべきだ。
12月8日の「ジョン・レノン忌」は今や「季語」として認知されつつある。
が、「レノン忌」はどの歳時記にも(私が知る限り)載っていない。
私はさっさと掲載すべきだと思うが、これもなかなか難しい問題だ。
というのも、外国人の忌日も季語として認めれば、際限が無くなってしまう。
「ナポレオン忌」「アインシュタイン忌」「カエサル忌」「毛沢東忌」「スターリン忌」「コロンブス忌」などなど、際限がない。
一度「レノン忌」を季語として認めてしまうと、実にややこしくなってしまう。
ここしばらく、歳時記に外国人の忌日が載ることはないだろう、と私は考える。
ちなみに今日は「与謝野鉄幹忌」「室生犀星忌」「山口誓子忌」である。
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