(コトリ第46号)

 

芭蕉はこう云っている。

予が風雅は夏炉冬扇の如し。

衆にさかひて用ゐるところなし。

そしてここにホゾをきめたから芭蕉は強くなったのである。

ー中川一政『我思古人』ー

 

 

「コトリ」は福島たけしさんの主宰俳句誌。

福島さんとはながらくお会いしていないが、以前、ともに句座を共にしたことがあり、毎号送ってくださる。

今号では、

 

自画像を花の形見となしたまふ   福島たけし

 

に感銘。

 

さて、上記の言葉は「コトリ」巻頭言「言葉の花束46~大地は動く」で紹介されていた中川一政の言葉。

中川一政(1893~1991)は洋画家で、美術家、随筆家、歌人としても活躍した。

文化勲章受章者で、神奈川県の真鶴に「中川一政美術館」があり、私も二度ほど訪れたことがある。

東山魁夷が芭蕉を敬愛していたことは知っているが、中川一政もまた芸術の師として芭蕉を敬愛していたのはうれしいことである。

 

この「夏炉冬扇」は「夏の囲炉裏」「冬の扇」という意味で、要するに、

 

なんの役にも立たない。

 

ということ。

つまり芭蕉は「自分の俳句は夏の囲炉裏、冬の扇のようなもので、なんの役にも立たないものである。」と言っている。

この言葉は芭蕉が弟子によく言っていた言葉のようで、上の言葉はおそらく「許六別離の詞(柴門の辞)」からの引用であろう。

〈予が風雅は…用ゐるところなし。〉とは、

 

私の俳諧(俳句)、夏炉冬扇のように世の中のなんの役にも立たないもの。

世間の人々に逆らった無用のものである。

 

と訳すことが出来る。

一政は、

 

芭蕉はその覚悟を決めたから芭蕉は強くなった。

 

と言っている。

自分が命を賭けている俳句が、世間ではなんの役に立たないものだ、という覚悟を決めたから、芭蕉の俳句は凄い、と言っているわけでだし、自分の絵画にも、「その覚悟」がある、と述べているのである。

 

その前の文章も紹介しておこう。

 

池大雅は生涯まずしく、セザンヌは生涯孤独であったのである。

だから心ある画家はまずここに度胸をすえる。

それを追いかけて来て、役に立たないも、あったものではない。

 

これを読むと、芸術家は金に頓着せず、世間に迎合しない、そこに覚悟を決める、そこから芸術が始まる、と言っているようである。

 

それを受けて福島さんはこう書いている。

 

芸術は孤独である。

自分との闘いだ。

芸術を志す者はその分野を問わず、己と向かい合わなければならない。

芭蕉が旅寝に見た雁の寂しさや、孤独なセザンヌの風景を、相手に意識してつかんだものではない。

(略)

役に立つかどうかなど、どうでもよいことだ。

 

そうなのである。

おそらく芭蕉は自分の俳句が無用の物…というよりは、「それはどうでもいい」、そういうところに俳句、芸術の価値があるのではない、或いは、自分の俳句が役に立っているかどうかは、私のあずかり知らないところだ、と言いたかったのだろう。

巻頭エッセイでも書かれていたが、

 

世の役に立つことを予想して生まれた芸術は無い。

 

のである。

骨のある俳人の文章を読んでうれしい気持ちになった。

 

 

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