(文殊が嶽)


越に来て富士とやいはん角原の文殊がたけの雪のあけぼの
西行法師


福井市から鯖江市に向かう途中、いい形の山があるな〜、と思っていたら「文殊が嶽」という歌枕であった。
西行が、

越の国に来て、富士山をみるかのようだ。
雪を被った文殊が嶽の朝焼けは富士山に負けぬほど美しい。

と詠んでいる。
西行もこのあたりに来たのだろうか?



芭蕉が「おくのほそ道」で、

玉江の蘆は穂に出でにけり

と書いた「玉江」を通る。
もともと歌枕であったが、芭蕉が、

月見せよ玉江の蘆を刈らぬ先

と詠んでから有名になった、と案内板に書いてある。さらに案内板によると、この土地は昔から低地で、川がよく氾濫し、一面、蘆が茂っていた、とある。

ちょっと自信がないが、この場合の「刈らぬ」は「刈らない」ではなく「刈った」という意味であろうから、

玉江の蘆をどこまでも刈って、名月を見せてほしい。

という意味か。
玉江の蘆はどこまでも広がっているので、

この一面の蘆原を刈ったら、月がさぞきれいに見えるだろうな〜。

と、おどけて詠んだものだろうか?
それだけこの蘆原は広い、ということだろうか。