(「鶴」2024年6月号)

 

 

駅の端に遠富士立てり西行忌    

鈴木しげを(「鶴」主宰)

 

 

毎号、俳句結社誌「鶴」を贈っていただいている。

「鶴」は石田波郷が昭和12年(1937)創刊、この号で通巻948号の歴史を誇る伝統結社だ。

「風切抄30句」の中からは、下記の句に感嘆した。

 

亀鳴けりけふの運勢けふ限り

濱田辰子

竜天に登る瀬音となりにけり

山本憲一

蛤の木更津の砂吐かせけり

馬場道子

デイジーや恙知らずの母とゐて

鈴木克行

姥捨の遠ち近ちの鐘霞みけり

谷口廣見

自動改札春闘遠くなりにけり

野田金司

 

しげを主宰の「編集後記」に興味深い記述があった。

波郷の句に、

 

帰還兵列の短さよ百日紅

 

というのがある…、いや、あったそうだ。

この句は戦時中に作られたのだが、政府から、これでは「戦死者の多さを強調しているようだ。」とクレームが入り、結局、

 

帰還兵列の長さよ百日紅

 

に変更させられたそうである。

このことは1974年4月14日の朝日新聞「天声人語」に載っているそうだ。

戦後刊行された波郷の自選句集には「短さよ」が収録されているそうだから、波郷自身は「短さよ」をよしとしていたのは明らか。

しげを主宰は、

 

波郷の内心忸怩たる苦々しさがよくわかる。

俳句にも当局が目を光らせていた不幸な時代である。

 

と記している。

私見だが、「百日紅」に切なさがあり、「列が長い」(帰還兵が多い)という「喜び」「安堵」では季語「百日紅」が存分に生かされていない。

「帰還兵列の短さよ」という切なさ、つまり「陰」から、「百日紅」の「陽」へと転換する。

それゆえ句に「ハリ」が出来、「百日紅」の光芒に「切なさ」が加わる。

「百日紅」はそのまま人間の命の光芒なのである。

 

われわれはいま、自由に俳句が出来、幸福な時代である。

願わくば「幸福」に甘えず、だらけず、「ハリ」のある句、命を見つめた句を詠みたいものだ。

 

 

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