(東京都渋谷区 スクランブル交差点)

 

【原 文】

鷲の棲む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の 

その津の上に 率(あども)ひて 未通女(をとめ)壮士(をとこ)の 行き集ひ
かがふかがひに 人妻に 吾(あ)も交はらむ  わが妻に 人も言問へ
この山を 領(うしは)く神の 昔より 禁(いさ)めぬわざぞ
今日のみは めぐしもな見そ 言(こと)も咎むな
ー『万葉集』第九巻1759 高橋虫麻呂ー

 

【意 訳】
鷲の棲む筑波山の裳羽服津のほとりに、男女が誘い集まって、舞い踊るこの歌垣(かがい)では、人妻と私も性交しよう。

我が妻に、男たちも言い寄ってこい。
この山の神が昔から許していることなのだ。

今日だけは変な目で見るのはよせ、咎めるなよ。

 

先日、杉並区西荻窪の「芭蕉の五大紀行文を読む会」で「鹿島紀行」に登場する「筑波山」について解説をしたことがある。

「筑波山」は東国を代表する歌枕であるが、「歌垣(うたがき)」の地でもあった。

その時、「歌垣」について調べ、上記の歌を見つけた。

筑波での「歌垣」を詠んだものだ。

これには驚いた。

「裳羽服津」というのは筑波山周辺のどこかの地区らしく、はっきりわかっていない。

「津」とあるから、どこかの「水辺」であろう。

 

「歌垣」は「嬥歌(かがい)」とも言い、

 

春と秋の年2回、若い男女が神々の住まう山に集まり、歌などで互いの思いを伝えあう古代行事

 

のこと。

これだけ読むと一見「健康的な男女の出逢いの場」に思えるが、これには当然「性交渉」なども含まれる。

いや、むしろ、そちらのほうがメインであろう。

 

この「若い男女」とは、「未婚者」だけか、「既婚者」も含まれるのか、という素朴な疑問を以前から持っていたが、上記の歌を見る限り、「既婚者」も含んだ若者の「フリーセックス」の場であったことがわかる。

 

それじゃあ、自分の子が誰の子かわからないじゃん!?

 

とびっくりする(笑)。

きっと「誰の子でもよかった」と古代の人は考えていた、と考えるしかない。

勝手な推測だが、「自分」も「妻」も「子供」も「神の一部」だった、と考えて暮らしていた、と思うしか納得出来ないのである。

 

今日のみは めぐしもな見そ 言も咎むな

(今日だけは変な目で見るな、咎めるな。)

 

とあるから、古代にも「貞操観念」のようなものがあったことはわかるが、この「歌垣」の日だけは特別なんだ、自由に交わっていいのだ、と詠っている。

 

今ではとても理解出来ない考えだが、冷静に考えれば、昔は同族が一ヶ所で暮らしていたことが多かった。

同族結婚が多く、「血が濃くなり過ぎる」懸念があった。

それゆえ、このような「歌垣」などで「外部の血」を入れる、という科学的要因も、知らず知らずのうちに受け入れていたのではないか。

 

そして、もう一つ考えられるのは「男女の交わり」というものは、今のように隠すものではなく、もっと健康的でおおらかで、そして崇高なもの、何より、「楽しいもの」であった、という認識があったのではないか。

「楽しいこと」というのは「神に通じる行為」であった、と考えてもいい。

 

話は少しずれるが、仏教でも「歓喜天」がいる。

仏教でも(もちろん、釈迦の教えではないだろうが…)「性交」は「悟り」と同じ、或いは近いもの、という考えがあった。

それをつかさどるのが「歓喜天」だ。

確か「チベット仏教」にもそういう考えがあったはずだ。

 

「性交」というのは、今のような下世話なものではなく、やはりもっと「神聖なもの」(繰り返すが、昔は「楽しいこと」が「神聖なこと」という考えがあった。)という観念があったように思える。

「性交」は「生命を誕生させる行為」であるから、人間の持つ中で本来「最も崇高なもの」であるはずだ。

そう考えると今の考えのほうがよっぽど「不健康」という感じがしないでもない。


まあ、もちろんここまでのことは講義では言っていない(笑)。

 

ちなみに「高橋虫麻呂」は生没年不詳の奈良時代の歌人。

物部氏の一族で、養老3年(719)頃、常陸国(今の茨城県)に役人として赴任していたという説があるが、はっきりしていない。
『万葉集』に34首の作品が入集している。

下総国真間(現在の千葉県市川市)の手児奈(てこな)の歌や、摂津国葦屋(現在の兵庫県芦屋市)の菟原処女(うないおとめ)の歌などが残っているので、地方の伝説や行事に関心を持ち、好んで歌に残した人のようだ。

 

 

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