(JR中央線)

 

 

あら楽し思ひは晴るる身は捨つる浮世の月にかかる雲なし

(あらたのし おもいははるる みはすつる うきよのつきに かかるくもなし)

大石内蔵助(伝)

 

今日は東京都大田区大森の「新山王句会」。

欠席者1名、出席者9名、一時期、かなり人数が減ったが、少しずつ増えて来た。

新しく会を運営してくれる人が、実に人当たりがよく、新規参加者を大切にしてくださっているからだろう。

新規参加者が定着してくれているのが大きい。

ここは上手な俳人、ユニークな俳人がいるので、どんどん発展してもらいたいものだ。

 

そのあと、西荻窪に戻って仕事をする予定だったが、参加者に声をかけられて飲みに行った。

ついついビールを飲んでしまい、1時間くらいで出るつもりだったが、2時間くらい飲んでしまった。

 

明日は朝9時から台東区池之端の「谷中句会」、そのあとは新しい句集の打ち合わせ。

ブログを見ている参加者から「毎日、お忙しいですね~」と言われたが、明日で一息付けそうだ。

 

上記の歌は忠臣蔵の大石内蔵助の辞世の歌。

吉良上野介を討ち、主君・浅野内匠頭の仇を討った内蔵助らは元禄16年(1703)2月4日(現在の暦で3月20日)、切腹した。

この歌については本当に辞世の歌かどうか疑問視する声があるそうだが、歌の意味は、

 

ああ、なんと楽しいことだ。

主君の無念を晴らし、私は今死んでゆく。

見上げる月に雲が一つもかかってないように、私の今の心は澄み切っている。

 

というもの。

専門家ではないので断言は出来ないが、本来「詩歌」である「和歌」は、江戸時代、「志を述べる」ものに変わっている。

その分、「文学性」は低いが、熱いものがある。

 

見上げる月に雲が一つもかかってないように、私の今の心は澄み切っている。

 

というのは、「私の思いを誰が知るだろう、人の評価はともかく、私の心に後悔や曇りはない」ということだろう。

 

 

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