(神奈川県横須賀市長沢)
岡潔 あの「秋深き隣は何をする人ぞ」で、芥川は寂しいといっています。
寂しがり屋で、まちがっているというか、芭蕉は寂しいとは思わなかったのだけれども、そう取ったってかまいません。
小宮豊隆にいたっては、薄気味が悪いといっている(笑)。
薄気味が悪いといったら、俳句にならんです。
あれは人なつかしいというので…。
山本健吉 そうだと思います。
ー「岡潔対談集」ー
「芥川」とは「芥川龍之介」のこと、「小宮豊隆」は夏目漱石門下の文学者。
岡潔(1901~1978)は世界的な数学者、文学にも造詣が深く、特に松尾芭蕉をこよなく愛した方である。
山本健吉はこのブログでもたびたび紹介している短詩型文芸評論家。
「岡潔対談集」では、松尾芭蕉の魅力について話し合っている。
芭蕉俳句の魅力については私もさまざまに考えて来た。
この文章を読んで「なるほど」と思ったのは、
芭蕉俳句の魅力は「人なつかしさ」
という指摘である。
〈秋深き隣は何をする人ぞ〉とは、仲秋の一日、隣の家の人はいったい何をしている人だろう、という意味。
これだけだとあまりに淡く軽い一句だが、この句には「人なつかしさ」が満ちている、というのである。
一方、芥川龍之介はこの句には「寂しさ」を詠った句である、といい、小宮豊隆は「薄気味悪さ」を詠っていると言っている。
「薄気味悪さ」とは何か、簡単に言えば、今の都会のように、隣人が何をしているかわからない不気味さを言っているのだ、と思う。
このことを岡さんは厳しく批判している。
小宮豊隆が本当にそんなことを言ったのか、それは私にはわからないが…。
そして、岡さんも健吉さんもそうではなく、この句は「人なつかしさ」を詠っている、それがテーマなのだ、と言っている。
これを読んだ時、私は大いに納得したのである。
そして、「人なつかしさ」という観点で、芭蕉俳句を改めてみると、更に光りを放って来た。
対談の中で上げている一句を見てみたい。
蜘何と音をなにと鳴く秋の風
(くもなにと ねをなにとなく あきのかぜ)
この句の意は、
蜘蛛はどういう風に鳴くのだろう、この秋の風の中で…。
というもの。
これは「蓑虫」が「チチヨ、チチヨ(父よ、父よ)」と鳴く、という古典の約束を踏まえている。
「蓑虫」がなぜ「チチヨ、チチヨ」と鳴くのかは以前に書いたことがある。
当然のことながら「蓑虫」も「蜘蛛」も鳴かない。
そして、どちらも「秋の季語」である。
以下、対談を引用する。
岡 寂しさというのは、「蜘何と音をなにと鳴く秋の風」、あれは感心したんですがね。
つまり、みのむしが捨て去られるのも知らないで、秋風が吹くとチチヨ、チチヨと鳴く。
これですよ。
これはなつかしさなんです。
寂しさもあります。
ありますが、父なつかしさあっての寂しさです。
それを芥川は寂しさとだけとった。
(略)
山本 芥川は、あれを寂しさとしかとれなかったところに、自殺しなければならなかったということも考えられます。
(略)
岡 なつかしさあっての寂しさというものと、人ひとり、個々別々の人の世の底知れず寂しいというのとは、寂しさの意味がちがいますね。
だから、芭蕉が寂しいというのは、人なつかしさということですよ。
山本 そうですね。
寂しさとなつかしさというのは、盾の裏表みたいなものです。
これを読んだ時、私が今まで軽侮していた芭蕉以外の「世捨て人」の思いも少しわかったような気がした。
吉田兼好、鴨長明、西行法師…、彼らは生涯を孤独の中に生きたわけだが、「寂しさ」だけを持っていたわけではなく、「人なつかしさ」というものを常に持っていた。
私は常々疑問に持っていたのだが、「世捨て人」であれば、「秘境」に住めばいいのに、常に都の近くや、先人の面影のある場所に暮らしている。
これはやはり「人なつかしさ」というものが常にあったから、であったと思うし、芭蕉が「漂泊」の思いを決心しながらも、行く先々で人と交わっていたのは、やはり「人なつかしさ」があったからなのである。
「寂しさ」と「人なつかしさ」は表裏一体
これが近代以前の「寂しさ」であったに違いない。
われわれはこれ(人なつかしさ)を失ってしまったから、「孤独」が絶望へと繋がってしまっているのではないか。
もう一ついうとこれは「雪月花の思想」にもつながっている。
「雪月花」というのは自然や季節の美しさだけを語っているのではない。
四季折々の風景を見た時、人は「人なつかしさ」を覚える、というものだ。
そのことも以前に書いた。
「雪月花の時、最も君をおもう」
これは「人なつかしさ」なのである。
こういう思いを現代俳句に、わが俳句に復活させたいものである。
当然、これは表現技術ではないので、生き方ということになるが。
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