【原 文】
仰(そもそも)、道の日記といふものは、紀氏(きし)・長明(ちょうめい)・阿仏(あぶつ)の尼(あま)の、文(ぶん)をふるひ情を尽してより、余は皆俤(おもかげ)似かよひて、其(その)糟粕(そうはく)を改(あらたむ)る事あたはず。
まして浅智短才の筆に及べくもあらず。
其日は雨降、昼より晴て、そこに松有、かしこに何と云(いう)川流れたりなどいふ事、たれたれもいふべく覚侍れども、黄奇蘇新(こうきそしん)のたぐひにあらずば云(いう)事なかれ。
されども其所ゝの風景心に残り、山館(さんかん)・野亭(やてい)のくるしき愁も且ははなしの種となり、風雲の便りともおもひなして、わすれぬ所ゝ跡や先やと書集侍るぞ、猶酔ル者の孟語(もうご)にひとしく、いねる人の譫言(うわごと)するたぐひに見なして人又亡聴せよ。

【意 訳】
そもそも紀行文というものは、紀貫之・鴨長明・阿仏尼が文筆をふるい心を尽くしてからというもの、その他はみな内容は似たようなもので、それらの類型ばかりでさほど新しいことは何も無い。
まして知恵が浅く、才能が無い(私のような)ものの筆で何か新しいことが描き出せるというものではない。
「その日は雨が降り、昼から晴れて、そこに松があり、向こうに何とかという川が流れている」などという事は、誰もが言いたくなるものだが、表現の新しさ・奇抜さを以って知られた黄庭堅(こうていけん)や蘇東坡(そとうば)ほどの者ででもなければ、言うものではない。
しかしそうは言っても、訪れた所々の風景が心に残り、山や野で旅寝することの苦しい愁いもまた話の種となり、旅の便りともなると思い、忘れられない所々のことを前後も整えず書き集めてみたのだが、まあ、酔っ払いのざれ言に等しく、寝ている人の寝ぼけ言葉うのたぐいと考えて、読者もまた、いい加減に聞き流してほしい。

【補 注】
〇道の日記…紀行文。
〇紀氏…紀貫之。平安時代の貴族・歌人。日本最初の紀行文と呼ばれる『土佐日記』の作者。
〇長明…鴨長明(1155~1216)。『方丈記』の作者。鎌倉時代の代表的紀行文『東関紀行』『海道記』(※作者未詳)の作者と江戸時代は誤認されていた。
〇阿仏の尼…阿仏尼(1222~1283)。鎌倉時代中期の女流歌人。『十六夜日記』の作者。京都から鎌倉までの道中をつづる。
〇糟粕…かす。
〇浅智短才…知恵や才能が無いこと。
〇黄奇蘇新…「黄」は黄庭堅、「蘇」は蘇東坡。ともに中国宋代の詩人。それぞれ表現の新しさと奇抜さに特徴があった。
〇山館野亭…山に泊まり野に伏す旅寝のこと。
〇風雲のたより…自然に親しみ、句を詠むことのよすが。
〇後や先や…後も先も整えず。
〇孟語…たわ言。
〇亡聴…聞き流す。