(広渡敬雄著『全国・俳枕の旅 62選』)

 

 

広渡敬雄さん(「沖」同人)が『全国・俳枕の旅 62選』を出版され、謹呈してくださった。

俳句WEBサイト「セクト・ポクリット」(運営・堀切克洋氏)で連載していたものを書籍化したものだそうだ。

この本の「序文」で、私の名前が再三登場している。

この本は「俳句」における「俳枕」を紹介する内容なのだが、私は以前、ブログでも著書『俳句再考』でも書いているように「俳枕」に必要性を感じていない。

念の為書いておくが、反対ではなく「必要性」を感じないのである。

 

同じじゃないか、と言われそうだが、ちょっと違う。

現状の「俳枕」では意味がない、と言っているのである。

 

これに対し、林誠司は著者『俳句再考』で「俳枕は殆ど歌枕と場所が重なり、俳枕のみは底が浅く空しい」と述べる。

 

次に林誠司は「歌枕にはある隠された情緒が俳枕にはない」と加える。

例えば『おくのほそ道』の仙台の歌枕では、名取川は「じっと秘めている恋」、末の松山は「変わることのない恋の誓い」等は、そういう意味を念頭に置きつつ和歌を詠むので読み手もそれを意識して解し、多くの意味や詩情が生まれる。

が、俳枕には、それがなく、ただ多くの俳人が訪ねる場所に過ぎず「奥深さ」が足りないとも述べる。

(同書の序文より)

 

これらが改善されるというか、歌枕と同等の、あるいは、別の魅力を持った奥深さを得れば「俳枕」も賛成と言っているのである。

ただ、そういうことを考える前に、ただ「俳枕だ」「俳枕だ」と言っている人々に浅はかさを感じるのだ。

現在の「俳枕」は「俳句に多く詠まれている場所」程度の意義しかなく、「歌枕」の情緒と較べると、格段に劣るのである。

そのことは著書『俳句再考』などで述べている。

広渡さんは著書の中で、「俳枕」について、私の指摘に一定の理解を示しつつも、

 

芭蕉による俳枕の成立の経緯と発句の本質から、俳枕は、歌枕のように仮に故事来歴や意図がなくとも、俳句の詠まれた場所とその自然を第一義とした場合があっても良いのではないかとも思う。

 

と述べている。

一応言っておくが、だからといって私は広渡さんと対立しているわけではない。

むしろとても仲がいい(笑)。

 

(神奈川県横須賀市長沢)

 

今日はほぼ家に籠って仕事。

最低限の仕事はした。

明日はその仕上げをする。

コンビニに買い物があり、1時間ほどだけ海辺を散歩した。

二枚着て外に出たのだが、一枚脱ぎたくなるほどあたたかい。

海もちょうど引き潮でおだやかだった。

海岸通りにはいつもの休日以上に車がたくさん走っている。

 

 

先日、私の散歩コースの「野比海岸遊歩道」が急にやる気を出した、とブログで書いたが、その甲斐あってか、若い人や家族連れがいつも以上に来ていて賑わっていた。

 

ちょっとネットで調べてみたが、このプロジェクトを手掛けているのは「♯ジハングン」という会社(グループ?)で、このような催しで、福岡県糸島で150万人を集めた、という実績があるのそうだ。

それでこの閑散とした遊歩道に賑わいを起してもらおうと自治体が依頼したらしい。

この賑わいならまずは成功、と言えるだろう。

いつもガラガラの駐車場もほぼ満車状態だった。

この駐車場は以前、おじいさんが小屋に詰めていて、いつも暇そうにしていたが、パネル式というのだろうか、無人化されていた。

 

わずかながらも時代は着実に変わってゆくのだな~。

 

 

奥の細道新講座始まります!(会費500円、杉並区民以外も参加できます。)

 

 

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