(秋田県角館市)

 

 

昨日の我に飽きける人こそ、上手にはなれり   

森川許六『篇突』

 

 

森川許六(もりかわ・きょりく)は松尾芭蕉の高弟で、上記の言葉は芭蕉の言葉である。

 

昨日の自分に飽きる人こそ、上手な人になる。

 

と言っている。

 

最近、テレビが全然面白くなくて「Youtube」を見る時間が多くなった。

「Youtube」もロクでもないものだったり、信用性のないものが溢れているが、時々、感心するものに出会う。

なにより動画がそのまま出ているので、新聞やテレビの色眼鏡を経ず、自分の目で見て、判断することが出来る。

 

今日は作家・東野圭吾さんの何かの賞のスピーチを見て感心した。

そこで、先日亡くなった作家・伊集院静さんとの思い出を語っていた。

伊集院さんと東野さんはともに直木賞の選考委員を務めていた。

東野さんが選考委員を今回で降り、直木賞受賞者を祝う集まりで、お店で飲んでいると、そこにサンダル履きの伊集院さんがやって来た。

伊集院さんは、

 

受賞者を祝いに来たんじゃないだよ。

あんた(東野さん)に話があって来たんだ。

 

と言い、

 

あんたと選考やるのが楽しかったんだ。

だって、あんた話しているうちに「意見」変えるもんな。

他の連中はさ~、〇って言ったら〇、×って言ったら×のままだろ?

でも、あんたはさ~、話していて×が急に〇になったり、〇が×になったりするからな~。

それがいい。

話し甲斐があるんだ。

 

それを聞いて、東野さんは嬉しかった、と言った。

 

日本は政治家を筆頭に、一旦言ったら意見を変えちゃいけない、変えるのは恥だ、と考える風潮がありませんか?

そんなことはないです。

勉強して、気が付くことがあったら大いに意見を変えていいんです。

だって、そうしないと話し合いが進まないじゃないですか?

 

と言い、

 

意見や考え方を変えたほうが人間はドラマチックです。

 

と言った。

 

手前味噌だが、私も以前同じようなことを書いたことがある。

 

全知全能の「神」でない限り、意見が変わらないなどということはあり得ない。

なぜなら、われわれは無知だから。

世間や自然はもちろん、俳句の世界、詩歌の世界は深く、それを全部知っていることなどはありえない。

松尾芭蕉や与謝蕪村、正岡子規でさえそうなのに、われわれが俳句の全てをわかるはずがない。

勉強をすればするほど、生きれば生きるほど、人は多くの事を知り、自分や自分の意見の欠如していることを知る。

なので「変えない人間」はただただ単に「頑迷な人」と思っても構わないだろう。

 

上記のブログでも書いたが、芭蕉はまず「貞門俳諧」を学び、その後「談林俳諧」を学び、自らの「蕉風俳諧」を確立した。

その後も「わびさび」を指向し、「かるみ」を提唱し、「ほそみ」「しをり」を指向し、最晩年には「あらび」をも指向していた節がある。

芭蕉は常に「変化」に挑んだ詩人である。

 

「俳句」でも「漢詩」「和歌」はもちろん「西洋文学」との比較などをしても、考えさせられること、気が付くことはたくさんある。

 

意見や考え方を変えたほうが人間はドラマチックです。

 

というのは素晴らしい言葉である。

私も今後使おう(笑)。

 

 

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