(青森旅行の時の十和田湖)

 

 

【原 文】

日(ひ)既(すで)に暮かかるほどに、利根川のほとり、ふさといふ所につく。

此(この)川にて、鮭の網代(あじろ)といふものをたくみて、武江(ぶこう)の市(いち)にひさぐもの有(あり)。

よひのほど、其(その)漁家(ぎょか)に入(いり)てやすらふ。

よるのやど、なまぐさし。

月くまなくはれけるままに、夜舟さしくだして、かしまにいたる。

ひるよりあめしきりにふりて、月見るべくもあらず。

ふもとに、根本寺のさきの和尚、今は世をのがれて、此(この)所におはしけるといふを聞(きき)て、尋(たずね)入(いり)てふしぬ。

すこぶる人をして深省(しんせい)を発せしむと吟じけむ、しばらく清浄の心をうるににたり。

あかつきのそら、いささかはれけるを、和尚起(おこ)し驚ㇱ侍れば、人々起出ぬ。

月のひかり、雨の音、ただあはれなるけしきのみむねにみちて、いふべきことの葉もなし。

はるばると月みにきたるかひなきこそ、ほいなきわざなれ。

かの何がしの女すら、郭公(ほととぎす)の歌得よまでかへりわづらひしも、我(わが)ためにはよき荷担(かたん)の人ならむかし。

 

【意 訳】

日がもはや暮れかかる頃、利根川のほとり、布佐という所につく。

この川で、鮭を採る網代を仕掛けて、江戸へ商売をしている者がいる。

夜、その漁師の家に入り、休む。

しかし、どうにも生臭く耐えられない。

幸いにも月がくまなく晴れ渡っているので、夜に舟を出発させ、川を下り鹿島に着く。

昼から雨がしきりに降って、名月を見るれそうもない。

鹿島山の麓、根本寺の先代の仏頂和尚が今は隠居し、この寺にいらっしゃると聞き、訪ねて行って泊まる。

杜甫が「人をして深省を発せしむ」と感じたように、私もしばらく清浄の心を得るに似た心持になる。

明け方の空がやや晴れてきて、和尚を起こすと、皆も起きて来る。

月の光、雨の音…、ただただ趣深い景色ばかりが胸に満ち、句など、とてもできない。

はるばると月を見に来たというのにこれでは甲斐が無く、不本意ではある。

しかし、かの清少納言も、ほととぎすの声を聞いても、ついに歌を詠まないで帰るのを気に病んだというから、清少納言は私にとって心強い味方と言えるかもしれない。

 

【補 足】

〇ふさ…布佐。現在の千葉県我孫子市布佐。茨城県鹿島へ舟の乗る場所。 

 

〇鮭の網代…川に杭を打ち込み、杭と杭の間に竹や網を張って鮭を捕る仕掛け。利根川の鮭は当時著名だった。 

 

〇たくみて…工作して。この場合は「仕掛け」。

 

〇武江の市…隅田川。つまり、江戸の市。 

 

〇ひさぐ…商売をする。 

 

〇漁家…漁師の家。 

 

〇よるのやどなまぐさし…

「夜の宿醒臊(せいそう)にして牀席(しょうせき)を汚す」(白楽天「縛戎人」)

「よるの宿なまぐしとはむべもいひけり」(木下長嘯子『挙白集』)

「夜の宿なまぐさしといひける人の詞も思ひ出でらる」(作者未詳『東関紀行』)

などからの引用の踏襲。

 

〇ふもと…鹿島山の麓。 

 

〇根本寺…臨済宗寺院、伝・聖徳太子の開基。

 

〇さきの和尚…先代の住職。仏頂和尚のこと。芭蕉の座禅の師。

 

〇「すこぶる人をして深省を発せしむ」…杜甫「龍門奉先寺に遊ぶ」の「覚めんと欲して晨鐘を聞く、人をして深省を発せしむ」(だんだん目が覚めつつある時、朝の鐘の音を聞いた。人に深い悟りを起こさせる音だ)。 

 

〇かの何がしの女すら、郭公の歌、得よまでかへりわづらひし…「かの女」は清少納言。『枕草子』に「五月の御精進のほど」による。清少納言が仲間の女房四五人と賀茂の社の奥にほととぎすの声を聞きに出かけ、ほととぎすの声をきくことはできたものの、田舎の風俗や食べ物にまぎれてついに歌を詠むことがなかった。 

 

〇荷担の人…味方。