(神奈川県横須賀市長沢)

 

 

うしろすがたのしぐれてゆくか

種田山頭火

 

 

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

みなさんのご多幸をお祈りしています。

 

年末は仕事ばかりをして過ごした。

年始もそうやって過ごすことになるだろう。

今いろいろとやっておくと、あとあと楽になる。

が、2月に旅行を予定していたが、今日、急に「沖縄」に行こうと決め、飛行機や宿の予約もした。

あちこち旅しているが、唯一、訪れていない県が沖縄。

これで全都道府県制覇出来るので楽しみだ。

そのためにも、今のうちに仕事しておかないと…。

 

冒頭の山頭火(1882~1940)の句、新年にふさわしい句ではないが、先日、本を読んでいて、ふと考えたことがあるので挙げてみた。

紹介するまでもなく、山頭火は破滅的な人生を送った自由律俳人。

山口県防府市の大地主の長男に生まれたが、11歳の時に母が井戸で自殺。

以来、彼の人生は大いに狂った。

早稲田大学に入学するも神経衰弱の為退学。

帰郷して、父と酒造業を始めるが2年で破綻。

大正2年に破産、父は行方不明となり、弟は借金苦で自殺した。

自身も何度か自殺未遂をしている。

ちなみに「自由律」とは「5・7・5」に拘らない俳句である。

 

この句は昭和6年の作。

句集『草木塔』では、

 

昭和六年、熊本に落ちつくべく努めたけれど、どうしても落ちつけなかつた

またもや旅から旅へ旅しつづけるばかりである。

 

という文章が前にあり、「自嘲」…、つまり「自分をを嘲る」という「前書き」のあとに、この句がある。

今風に言えば「社会不適合者」、社会生活になじめない自分が「漂泊の旅」にしか生きられない自分を嘲っている。

この句の「時雨」は、彼の、

 

悲しみ

人生の儚さ

 

を表現しているだろう。

 

で、話は松尾芭蕉に変るが、芭蕉の紀行文『笈の小文』の冒頭の句、

 

旅人とわが名呼ばれん初時雨

 

について、『芭蕉のこころをよむ』(尾形仂・著)で以下の記述がある。

 

「時雨」という俳諧の季語は、芭蕉たちの間では、風雅の世界に生きる喜びを象徴するものとして使われていたのです。

 

この「喜びを象徴」という言葉にちょっと驚いた。

「時雨」は「悲しみ」「儚さ」を表わす季語と思っていたが、そればかりではなかったのだ。

 

芭蕉の〈旅人と…〉の句は、これから「漂泊の旅」に生きる「心細さ」も表わしているが、一方で「風雅の伝統に連なる喜び」をも表現しているという。

「風雅の伝統」とは、

 

在原業平(ありわらのなりひら)

能因法師(のういんほうし)

藤中将実方(とうのちゅうじょうさねかた)(源実方)

西行法師(さいぎょうほうし)

宗祇(そうぎ)

 

のように「旅人として生きる」ということである。

その風雅の象徴が「時雨」というのである。

芭蕉一門にとっての「旅人」と「時雨」については以前に書いたことがある。

 

 

 

尾形氏は以下のように書いている。

 

中世の歌人たちは、その時雨の定めなさを思い、諸行無常の嘆きを重ねてきましたが、その代表ともいうべき室町時代の連歌師宗祇(そうぎ)の、

 

世にふるもさらに時雨の宿りかな

 

苦しい世の中を生きてゆくのも時雨の雨宿りのように束の間のことにすぎないことだ、という詠嘆に対して、

 

世にふるもさらに宗祇の宿りかな

 

と、はるかに唱和し、挨拶の心を送った芭蕉たちは、近世の表面的には泰平の現実の中で、乱世を生きた宗祇らの無常の思いを反芻するところに、世俗の外の風雅の世界、芸術の世界に生きる者としての喜びを発見したのでした。

 

ちなみに連歌師・宗祇は応仁の乱、戦国時代を生きた人で、京都が戦乱の舞台となった為、諸国に身を寄せる漂泊の旅に生きた人である。

『笈の小文』の冒頭に、

 

西行の和歌に於(お)ける、宗祇(そうぎ)の連歌に於ける、雪舟の絵に於ける、利休が茶における其(そ)の貫道(かんどう)する物は一なり。

 

とあるように、芭蕉にとって「風雅」の尊敬すべき「先人」であったのだ。

 

で、山頭火の〈うしろすがたの…〉の句に戻る。

山頭火の放浪日記『行乞記』を読めば、山頭火がいかに芭蕉を尊敬していたかがわかる。

そう考えると〈うしろすがたの…〉の句は、芭蕉の〈旅人と…〉の句を強く意識しているのかもしれない。

この句を詠むことによって、山頭火は「芭蕉の系譜」「風雅の系譜」に連なるという宣言をしたのではないか。


社会になじむことが出来ない私はこうして漂泊の中に生きるしかないのだ、という「悲観」はあるが、一方で、「どうしようもない自分」の行くべき道として、「芭蕉の道」「風雅の道」に連なるしかない、連なりたい…、という意図があったのではないかと考えるようになったのである。

つまり、この句は芭蕉の風雅に連なりたい、という願望も含まれている。

 

で…、手前味噌だが、数年前、私は、

 

汝は笈われはリュックのしぐれかな

(なれはおい われはリュックの しぐれかな)

 

という句を作った。

こう考えた時、この句の季語は「時雨」で正解だったのだ、と思った。

 

 

 

 

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