(神奈川県横須賀市長沢)
ぬばたまの黒飴さはに良寛忌
長靴に腰埋め野分の老教師
能村登四郎
この二句は現代俳句史に於いて、たびたび話題に上がるエピソードがある。
〈ぬばたまの…〉は昭和22年3月、登四郎が「馬酔木」で初巻頭を取った一句であり、師・水原秋桜子が絶賛した一句だが、兄弟子・石田波郷が批判した。
〈長靴に…〉は、そののちの句で、波郷が高く評価し、登四郎に大きな自信を与えた一句である。
以下は「対岸」2023年12月号、2024年1月号の、今瀬剛一さんの「能村登四郎ノート」を元にする。
まず〈ぬばたま…〉について。
秋桜子はこの句について以下のように述べている。
いまの世で童たちがたやすく買える菓子といったらまず第一に飴であろう。
いやこれは現代だけの話ではない。
むかしも飴ならば手に入れやすく、童好きの良寛上人は袂の中にこれを忍ばせて、童たちに与えるのを楽しみにされたことと想像される。
良寛忌に当たって黒飴を見た作者の頭の中では、自然にこの句の着想がうかんだにちがいない。
その上、良寛上人は飴屋の看板を書いている。
これが越後のどこかに残っているはずだーそんな因縁が絡んでくると、この句の味わいは相当にふかくなる。
そうして全体に高雅な燻しをかけるため、作者は「ぬばたま」という枕詞を用意したのである。
こんなわけで、この句はなかなか念が入っており、古典的な風格をもつとともに現代生活とも関連している。
秋桜子は良寛への深い知識があり、良寛と飴の関係をも見い出している。
秋桜子ならではの深い鑑賞であり、この句の持つ「古典的風格」を高く評価している。
一方、波郷はこの句についてどういう批判を展開したのか。
これは「人づて」に聞いた登四郎の文章から引用する。
あの黒飴の句は俳句に必要な具象性を持たない。
あまりに趣味に溺れた句である。
殊に枕詞を使用するなどは、若い生活派といわれる作者のするべきことではない。
〈ぬばたまの…〉の句について、「具象性」がない…、つまり情緒的であることを指摘し、趣味的である、と言っている。
若い作者が、早くも「枕詞」などという古典や伝統に頼って(?)表現して満足していることに危惧を感じたのだろう。
厳しい意見だが、決して登四郎という人間を批判しているのではなく、その「姿勢」を批判していることがわかる。
波郷自身は登四郎の第一句集『咀嚼音』の跋文で、こう書いている。
これらの句の情緒や繊麗な叙法は、趣味的に過ぎて戦後の俳句をうち樹(た)てるべき新人の仕事とは思えなかった。
このことについて今瀬さんはこう書いている。
波郷の批評は作品批評というよりもその姿勢を批評しているように思う。
取り分け当時三十七歳、「馬酔木」若手のホープとして活躍していた登四郎を意識しての発言をしているように思えるところが興味深い。
厳しいが温かい発言と言えよう。
次に〈長靴に…〉について。
この句は「馬酔木」30周年記念の特別作品「その後知らず」25句の一句で、その年、登四郎は「第一回新樹賞」を受賞している。
「新樹賞」とは(おそらく)新人賞的賞だろう。
「新樹賞」受賞の際、波郷は〈長靴に…〉の句を含めて以下のように批評している。
この「長靴に腰埋め」の一句を得たことによってこの一編二十五句の努力は十分報われたものと考えたい。
この一句は他の二十四句とは把握も表現も隔絶している。
他の句には多かれ少なかれ作者の情感の色づけが見られるのに対して、この一句にはそれがない。
(略)
俳句表現の特質を端的に示した一つの典型である。
波郷は〈長靴の…〉の句には「情感の色付け」がないことを高く評価している。
情感を極力避け、端的に示した句に「リアリティ」を見たのだろう。
今瀬さんは、これらを受けて「秋桜子と波郷の俳句観の違いがある」と指摘している。
私も同感する。
水原秋桜子は「耽美派」ともいわれた「美意識」の人である。
来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり
高嶺星蚕飼の村は寝しづまり
天平のをとめぞ立てる雛かな
むさしのの空真青なる落葉かな
春惜むおんすがたこそとこしなへ
秋桜子は初めて「わびさび」「枯淡」の俳句境地から脱し、西洋的な明るい色彩を俳句に持ち込んだ人である。
極端に言えば、(蕪村など例外はあるが…)これまでの俳句は「墨絵」の世界だった。
秋桜子が初めて水彩画や油絵のような色彩、それも「明るい色彩」を俳句に展開したのである。
一方、波郷は「人間探求派」とも呼ばれ、自身の境涯…、生き様や生活や青春や病気や死などを見つめた人である。
プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ
細雪妻に言葉を待たれをり
七夕竹惜命の文字隠れなし
雪はしづかにゆたかにはやし屍室
今生は病む生なりき烏頭
師弟でもその俳句観は大きく異なる。
これはある意味、健全な事であって、秋桜子も波郷も互いに師弟関係を保ちつつ研鑽し合ったのである。
時には、自分の句の弱さを、補い合ったことがあるだろう。
師弟とは決して「コピーの量産」ではなく、一部を共有し、一部をそれぞれ発展させていくものである。
秋桜子は登四郎の中にある「美意識」を高く評価し、波郷は登四郎が見出した「文学としてのリアリズム」を評価した。
いわば登四郎は「板挟み状態」だったわけで悩みも多かった」だろうが、登四郎はどちらも受け入れ、研鑽し、やがて彼独自の世界を確立したことである。
師弟関係、兄弟弟子関係とはかくありたい。
登四郎の研鑽、その後の活躍によって、この師弟関係、兄弟弟子関係は現代俳句の一つの指針として、語り継がれている。
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