(東京都杉並区西荻窪)
初しぐれ猿も小蓑を欲しげ也 松尾芭蕉
(はつしぐれ さるもこみのを ほしげなり)
明け方から激しい雨が降り始めた。
台風が近づいている。
今日は11時に打ち合わせがあったのだが、キャンセルになってしまった。
本当は今日、横須賀に帰るつもりだったが、今日も西荻窪で過ごす。
ここはパソコンと本と仕事道具しかない。
外にでも出られないので退屈だ。
で、西荻窪のラーメン屋「佐々木製麺所」へ行く。
ここはビブグルマンにも選ばれたラーメンの名店。
杉並区でビブグルマンのラーメン屋は2軒あるが、2軒とも西荻窪にある。
もう一つは「麺尊 RAGE」。
「麺尊 RAGE」は夜遅くまで営業していることもあり、3回ほど行ったことがあるが、佐々木製麺所は一度も行ったことがない。
東京女子大のすぐそばということもあるのか、いつも行列が出来ている。
で、今日のような台風の日なら絶対並ばずに食べられるだろう、と11時に店に行ってみた。
やはり、「1番乗り」。
たしかにうまい。
また、空いている時に行ってみよう。
ところで、上記の芭蕉の句は、芭蕉一門の句集『猿蓑』の巻頭に置かれている句で、『猿蓑』という句集名にもなった、芭蕉の代表句の一つである。
しかし、どうなのだろう…?
私には他の芭蕉の名句と較べると、見劣りするように思える。
今年初めての「時雨」が降っている。
旅の途中、峠を越えてゆくと、枝に一匹の「猿」がいて、雨に降られていながら寒そうにしている。
芭蕉は蓑を着て、雨をしのいでいる。
猿もまるで小さな蓑を欲しがっているようだ…。
という意味だ。
この句は元禄2年、『おくのほそ道』の旅を終えた芭蕉が、伊勢神宮の遷宮式を見物したあと、伊賀へと向かう山中で詠んだ句、とされている。
やや「見立て」で終わっている気がするし、発想が幼稚、というか、ありふれているようにも思える。
つまり、寒いから小動物(猿)も着物(蓑)を欲しがっている、という発想…、それほどの手柄とは思えないのである。
しかし、『猿蓑』の芭蕉七部集と言われた芭蕉一門の七つの句集の中でも最高峰と言われている。
その巻頭がこの句である。
芭蕉にとって自信作であるに違いない。
この句について芭蕉の一番弟子・宝井其角はこう書いている。
わが翁が旅をつづけ、伊賀越えする山中で、猿に小蓑を着せてやり、俳諧の神の心授けたところ、猿はたちまち断腸の思いの叫びを声をあげた。
まことにおそるべき幻術である。
-『超訳 芭蕉百句』(著・嵐山光三郎)-
其角は、この句を芭蕉が詠むことによって、芭蕉は猿に小蓑を着せてやり、俳句の神の心を授けた、というのである。
これは芭蕉の「幻術」の一句である、と。
まことに其角らしい大げさないいようだが「幻術の一句」という解釈は、現代俳句にはまったくない視点で、逆に斬新である。
『超訳 芭蕉百句』の著者・嵐山光三郎さんは、この句についてこう書いている。
わびしげな猿の姿は、そのまま、芭蕉じしんの姿でもあり、猿に語りかける「軽み」がある。
『ほそ道』の旅のあと、いつまでもしみじみとしていないでつぎのステップを踏みはじめた。
『ほそ道』の旅を終えた芭蕉は、「軽み」へと一歩を踏み出した。
こころざしは高く持ちながら、やさしい言葉で心情を伝えようとする意志である。
光三郎さんは、この句について『軽み』という言葉を使っている。
荒海や佐渡に横たふ天の川
という格調の極みを掴んだ芭蕉だが、そこにとどまらず、さらにやさしい言葉で表現する。
そして「小さな命」に同化しようとする…。
そう思うと、芭蕉の更に高みを極めようとする意志の一句にも思える。
「幻術」と「軽み」は紙一重ということだろうか。
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