(東京都江東区深川)

 

上品な言葉を使ったって志の低いものは低い。

翁(※芭蕉のこと)は「わが俳諧は草(そう)なり」といわれた。

一茶さんのもまさにそれで、軽みの中に何かがある。

世俗は卑語(ひご)を使えば軽みだと思っているが、これは軽みではなく浮き調子というもの、また一茶さんのは、目にしたものを即座にいい出したようですが、普通の人がそれをやったら、軽みにならず、安みになってしまう。

ー『ひねくれ一茶』(著・田辺聖子)—

 

今日はまいった…。

スマホをネットで買い替えたが、データだの、アプリだのの移行作業で、えらい時間がかかってしまった。

しかもまだ終わっていない。

句会で、或る人が「知人はしょっちゅう携帯会社を変えている。ポイントが付いて、スマホも滅茶苦茶安く買えてとても経済的」と言っていた。

また先日の高校の友人との飲み会で、なにげなく携帯料金の話になったら、私が一番高い料金を払っていた。

で…、今回、携帯会社は変えないが機種変更をしてみたのだ。

しかし、こんなに手間がかかるなら、買い替えする必要があったのかどうか…。

「金」を選ぶか、「時間」を選ぶか…。

今の私には「時間」のほうが大切。

こんなことに時間を潰すのは実に不本意だ。

 

さて、上記の言葉は田辺聖子の小説『ひねくれ一茶』で印象に残った言葉。

一茶に向って対竹(たいちく)が語った言葉である。

対竹とは田川鳳朗(たがわ・ほうろう)のこと。

宝暦12年(1762)、熊本の人で、のち江戸へ出て、鈴木道彦(すずき・みちひこ)に俳諧を学んだ。

鈴木道彦は当時、日本一の勢力を誇った俳諧師で、そこで才を認められ、のちに「天保三大家」の一人として活躍した。

芭蕉を慕い、蕉風俳諧復活を提唱し、弘化2年(1845)に江戸で没した。

一茶は1763年から1828年の人であるから、同時代の人である。

この場面は対竹が一茶と初対面した時、一茶を誉めていったセリフ。

『ひねくれ一茶』は小説であるから、対竹が本当に言ったものではなく、田辺聖子さんが創作したものだ。

 

俳句の「軽み」については何回か書いているが、なかなか難しい。

 

 

 

現代においても、お年を召された俳人が多く「かるみ」を志向している。

しかし「宝井其角が拒否した、芭蕉の『かるみ』」でも書いたが、(正確にはドナルド・キーン氏が指摘しているが…)「かるみ」というのはある意味「諸刃の剣」で、勘違いすると「駄句の洪水」を生み出しかねない。

…というか、ほぼ、そうなるし、実際、著名な俳人でさえそのようになってしまっている人も多い。

そして、勘違いした本人だけが「かるみに入った…」と悦に入っている、わけのわからない事態に陥っている。

まったく俳句の発展に寄与していないし、むしろ俳句の停滞を生み出している。

 

上記の言葉はそのことを語っている。

たとえ、きれいな、上品な言葉で俳句を作っても、志の低い俳人の句は浅はかさがすぐに見えてしまう。

こういう俳人は今でも相当数いるだろう。

鑑賞者もレベルが低いから、その美しさに感嘆する、しかし、よくよく見てみると、新しさも深さもなく、ただきれいな言葉で飾っているだけなのがわかる。

 

一方、日常語、あるいはちょっとくだけた言葉で句を作れば「かるみ」だ、と勘違いしている人もいる。

しかし、それもしっかりとした志が入っていなければ「かるみ」ではなく、「浮き調子」、つまり、「軽薄」な句になる…、と「かるみ」の難しさを言っているのだ。

対竹は、一茶の句には「かるみ」があり、そこを誉めているのだ。

 

芭蕉が「軽み」を提唱した時、多くの弟子はそれに倣おうとしたが、一番弟子の宝井其角(たからい・きかく)はそれを全く無視した。

弟子たちは大いに不満だった。

一番弟子の其角こそ率先して、師に倣うべきではないか。

当時、其角の人気は凄まじく、江戸では芭蕉を凌ぐ人気があったから、弟子たちは尚更、不快に思ったに違いない。

其角はなぜ、「軽み」を無視したのか?
 

其角は、たとえば「軽み」がわからなかったわけではない。

(略)

しかし、其角は、もしそこに芭蕉のような天才の裏づけがないならば、「軽み」はついに平浅に陥るほかないことを看破していたのに違いないのである。

ードナルド・キーン『日本文学史 近世篇1』-

 

其角はさすがに切れ者で「かるみ」の「危なさ」をわかっていたし、自分には合わない、ということもわかっていたのである。

「かるみ」は危ない…。

そういう意味では、むしろ、其角こそ芭蕉を理解していたし、他の弟子の誰よりも「かるみ」を理解していた、と言っていい。

対竹(実際は田辺聖子さん)は「軽み」の失敗したもの、勘違いしているものを「安み」と評している。

実に的確な表現だ。

 

『ひねくれ一茶』で「安み」はもう一回登場する。

一茶の弟子が、師匠の貧窮を心配して、素人で羽振りのいい、大店の旦那衆に声をかけ、一茶の弟子にさせようとする。

弟子は「素人ですから適当に誉めてあげてくださいね」と懇願する。

うまく一茶のパトロンになってくれれば、一茶も貧窮から抜けられる、と願ったのだ。

一茶も弟子のその心遣いに大いに感謝し、そうしようとするが、結局は下記のようになる。

 

彼らが嬉しそうに見せた句稿におどろいてしまった。

(略)

(うるささや壁にしみ入る嚊(かか)の声)

「これは芭蕉の…」

「もちろん、もちろん、そこをねらったおかしみでございます」

(略)

「軽み、というようなのはこうもあろうかと愚考いたしまして」

――それは安みというものだ、と一茶はいつか、対竹がいった言葉をどなっていた。

 

当時、いや今もそうだが、「かるみ」というのは芭蕉の一つの到達点なのである。

芭蕉の努力と葛藤の果てに見い出した境地と言っていい。

素人が、そして何年も何十年も句作をしてきた俳人でさえ、そう簡単に到達出来るものではない。

われわれは安易に「かるみ」をとらえていないか?

目指すのは自由だが、安易に考えているようにおもえてならない。

 

くしくも「海光」最新号のエッセイで、「かるみ」の難しさについて書いたのだが、昨夜読んだ『ひねくれ一茶』でこの場面を読み、あらためて「かるみ」の難しさを考えてしまった。

 

 

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