(東京都台東区谷中)

 

 

雀より鶯多き根岸かな    正岡子規

(すずめより うぐいすおおき ねぎしかな)

 

 

「ホンマかいな?」と関西弁で突っ込みを入れたくなるような俳句だ(笑)。

昔から「根岸」は「鶯」の名所だった。

 

今日は台東区谷中の「谷中句会」。

会場は、谷中銀座のど真ん中にある古民家の二階で行う。

なかなか粋なところで気に入っていたが、諸事情で今回が使用が最後となった。

今日の句会は断トツの最高点だったが、いかにも「俳句的な句」でちょっと反省している。

断トツの最高点だったが、これは「捨て」だな…。

こうやって、人の評価に阿(おもね)ないところが、われながらエライ(笑)。

 

 

谷中銀座にある、いつもの蕎麦屋「千尋」へ。

ここも毎回来るのは難しくなるのかな…。

今月は「新そば」でとりわけうまかった。

 

 

谷中銀座はコロナ前ほどではないが、賑わって来た。

ビールと蕎麦をいただきながら歓談して解散。

一日の目標9000歩を稼ぐ為、JR日暮里駅を越えて、根岸へ行く。

 

 

うぐひすや庵を囲むラブホテル    誠司

 

ラブホテル街を抜けて子規庵へ。

子規庵もコロナになってからなのか、月数回の開館になってしまった。

今日は閉館日。

 

 

裏に回り、塀越しに庭の写真を撮った。

荒れ放題にも見えるが…(笑)。

よく見ると、きちんと整備されているようにも見える。

そういえばこの間NHK「歴史探偵」で正岡子規をやっていた。

まあ、子規庵は何度も訪ねているので今回はいい。

すぐそばにあるはずの「陸羯南(くが・かつなん)旧居跡」を探してみた。

 

子規の俳句革新運動は陸羯南の尽力無しには語れないのである。

最近、陸羯南が気になっているのだ。

 

 

が、中村不折(なかむら・ふせつ)の旧居跡しか見当たらなかった。

たしか、すぐ近くのはずだったが…。

 

 

画家で書家の中村不折(1866~1943)は、子規に、絵画の手法である「写生」の概念を教え、それを元に子規は俳句革新運動を進めた、と聞いた。

今は「書道博物館」になっている。

 

夏目漱石の『吾輩は猫である』、伊藤左千夫の『野菊の墓』、島崎藤村『若菜集』といった名作の挿絵は不折が担当した。

三鷹市禅林寺にある森鴎外の墓碑銘も、鴎外の希望で不折が「墓碑銘」を書いた。

禅林寺の鴎外の墓のすぐそばには太宰治の墓がある。

それ目当てに禅林寺には昔、よく出かけたが、確かに「森鴎外」の墓碑銘は立派だった。

本名の「森林太郎」と書かれていた。

 

ところで、明日から「おくのほそ道踏破」の旅に出る。

宿は予約したが、新幹線のチケットは取っていない。

日曜だから混んでるかな~。

まあ、のんびりと楽しんできたい。

 

 

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