(神奈川県横須賀市長沢)

 

 

忘れずば佐夜の中山にて涼め      松尾芭蕉

(わすれずば さよのなかやまにて すずめ)

 

 

松尾家の身分は「無足人」(むそくにん)であった。

無足人とは、

 

帰農した国衆(くにしゅう)

 

のことである。

「国衆」とは「地侍」(じざむらい)のことだ。

伊賀では、越後の上杉謙信、甲斐の武田信玄、関東の北条氏康などのような強大な「戦国大名」は生まれなかった。

伊賀各地に小さな武家勢力が点在していたのである。

その小さな武家勢力が「国衆」であり、松尾芭蕉の家はその一族だった。

 

第二次天正伊賀の乱で、織田信長はほぼ「伊賀」を占領した。

本能寺の変のあとは、豊臣秀吉の時代となり、伊賀には秀吉の命によって「筒井定次」が入国した。

筒井氏は奈良の仏教勢力を背景とした武家である。

が、筒井氏は慶長13年(1608)に改易された。

改易の理由は不明だが、有力な説は家臣の讒言によるものらしい。

 

筒井氏が伊賀を治めても、国衆や農民による一揆が絶えず、家臣が「妥協派」と「弾圧派」に分かれて対立した。

その内紛の実情やら、定次の悪行を、家臣が豊臣秀吉に讒言し、改易となったらしい。

そういう中で、弾圧には限界がある…、ということとなり、国衆を「無足人」として優遇した。

 

無足人に俸禄(いわゆる給料)は出ないが、税が優遇され、公的任務が与えられ、苗字を名乗り、刀を差すことを許された。

いわゆる「懐柔策」である。

ふだんは農民だが、有事の際は、戦にも参加する。

国衆のプライドを尊重した策と言える。

 

同、慶長13年8月、筒井氏に代わって、「藤堂高虎」が伊賀に入国した。

その時、再度「無足人」の選定が行われた。

農民の身分だった松尾家の芭蕉(当時は金作)が、藤堂家という大名家に仕えることが出来たのも、「無足人」という身分の家柄だったからだろう。

 

国衆から牙を抜き、その名誉心をくすぐりながら、藩経済の負担を最小化しつつ兵力として有効活用しようという巧妙な制度でもあった。

(略)

農民と武士との間に位置付けて取り立て、藩への抵抗を弱め、藩境の防衛として軍役の一角を担わせた。

と同時に農民支配の一端を担わせた。

―『天正伊賀の乱』和田裕弘・著―

 

こういうことは日本全国の大名の下で行われていた。

例えば、土佐の大名・山内家では、旧勢力であった長曾我部家の家臣団や地侍を「下士」(かし)として、武家の身分を認めた。

しかし、山内家の家臣は「上士」(じょうし)とし、れっきとした身分差を存在させた。

その「下士」から坂本龍馬や武市半平太などが出た。

 

江戸末期の資料「大和国高瀬道常年代記」によると、伊賀に「無足人」は約1500人いた、という。

関ヶ原の戦いののち、伊賀の国衆は、伊賀の地にとどまり無足人や農民になった者と、武士としての仕官を求めて他国へ散った者とに分かれた、という。

松尾家は伊賀に残った一族である。

 

掲句。

「佐夜(さよ)の中山」は、静岡県にある東海道の難所であり名所。

歌枕である。

古代では、箱根よりもむしろ小夜の中山こそが東国の入口であった。

江戸を発ち、伊勢へと戻る「風瀑」(ふうばく)への餞別の一句。

 

古くから歌の名所であり、西行も、

 

年長けてまた越ゆべしと思ひきや 命なりけり佐夜の中山

 

と詠んだ「小夜の中山」を通った時に、そのことを思い出したなら、ここで一休みして、涼を入れ、一句お詠みなさい、という意味。

 

 

 

 

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