(神奈川県横須賀市長沢)
桜さくら散て佳人の夢に入 上田秋成(うえだ・あきなり)
(さくらさくら ちってかじんの ゆめにいる)
草分けて孤村に入るや団うり
(くさわけて こそんにいるや うちわうり)
地元の長沢川の河口にはいつも魚の群れが集まっている。
このあたりの「海鵜」はおなかが空くと、ここで魚を捕る。
このあたりの海鵜はごはんに困ることはなさそうだ。
(神奈川県横須賀市長沢)
「鴨」も呑気だ。
「鴨」の主食は苔のようで、これも食べるに困らない。
いつものどかに川底を漁り、苔を食べている。
まあ、でも、人間は焼肉も焼魚も食べられる。
サラダも食べられる。
やはり、人間のほうがいいか…(笑)。
さて、一昨日、上田秋成の芭蕉批判について書いたら、知人から新しい情報をいただいた。
秋成が芭蕉を嫌っていた、というあらたな証拠である。
上田秋成・著『也哉抄』に序文を寄せた与謝蕪村はこう書いている。
俳諧(はいかい)をたしなみて、梅翁(ばいおう)を慕(した)ふといへども、芭蕉(ばしょう)をなみせず。
おのれがこころの適(かなふ)ところに随(したが)ひてよき事(こと)をよしとす。
【意訳】
俳諧をたしなんで、談林俳諧の祖・西山宗因を慕っているが、芭蕉を嫌っている。
自分の心に従い、自分がいいと思ったことを良しとしている。
このことから秋成の芭蕉嫌いは、蕪村をはじめ多くの人に知れ渡っていたようだ。
また、秋成は、芭蕉が蕉風俳諧を確立するまで、俳諧の主流であった、西山宗因の「談林俳諧」を好んでいたことがわかる。
秋成の芭蕉嫌いはそういうところにあるかもしれない。
「談林俳諧」は刹那的で、芸術を追い求めるというより「一瞬の言葉遊び」に賭ける、という趣向がある。
芭蕉も、
文台(ふみだい)引(ひ)き下(お)ろせば即(すなわち)反故(ほご)也(なり)(服部土芳『三冊子』)
つまり、
句会が終われば、すべての句は紙屑のようなもの
と言っている。
俳諧にはもともと「刹那の文学」で、その一瞬に賭ける、という気合がある。
その気合がもっとも顕著なのが談林俳諧だろう。
つまり、秋成にとって俳諧の魅力とは「遊びの魅力」であった。
「遊び」というと「いい加減」と考えてしまうが、むしろ逆で、「遊び」だからこそ「命賭け」になれる、とも言える。
そこに魅力を感じているとしたら、芭蕉の俳諧は、さももったいぶったものに見えたのかもしれない。
秋成は『胆大小心録』でも、三宅石庵の〈ついきけばきたない事じや梅だらけ〉を誉め、
芭蕉などといふこしらへ者が、よりつける事じやなかつた
※芭蕉などというにせ者には到底作れないものだ。
と書いているし、
俳(はい)かいをかへりみれば、貞徳(ていとく)も宗因(そういん)も桃青(とうせい)も、皆(みな)口(くち)がしこい衆(しゅう)で、つづまる所(ところ)は世(よ)わたりじや
と書いている。
貞徳は「貞門俳諧」の祖・松永貞徳、宗因は談林派の西山宗因、桃青は芭蕉である。
俳諧の巨星全てに文句を言っている。
貞徳も宗因も芭蕉も、みんな、口がうまい者で、結局は金もうけだった。
と言っている。
和歌も読み物もみなお金をいただいているわけだから、「俳諧」だけお金をもらってはいけない、というのはおかしい。
どうもここまで来ると「偏屈」とも思えてくる。
私としても、芭蕉がまるで「金もうけに走っていた」という意見には到底納得できない。
ただ、好意的に見れば、秋成は、むしろ「俳諧」にと崇高な愛着を持ち、俳諧は金儲けであってほしくない、もっと純粋なものであってほしい、と願ったのかもしれないが、やはり「偏屈」な人だったのだろう。
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