岩手県平泉から宮城県大崎市岩出山へ行く途中、河合曽良の随行日記(旧暦5月14日)にこういう記述がある。

※こまかい記述、よくわからない記述は省く。

 

天気吉。一ノ関ヲ立。

一ノハザマ

岩崎

三ノハザマ

真坂

岩崎ヨリ金成へ行中程二つくも橋有。

此間二二ノハザマ有。

 

要約すると、こういうことだ。

 

快晴。岩手県一関を出発。

「一の迫」がある。

宮城県栗原市岩崎。

「三の迫」がある。

栗原市真坂を過ぎる。

栗原市岩崎より栗原市金成へ行く中ほどにつくも橋がある。

この間に「二の迫」がある。

 

要するに行く途中、

 

一の迫

二の迫

三の迫

 

があり、そこを通った、と書いている。

 

この「迫」(はざま)というのが妙に気になった。

その言葉に「みちのくっぽさ」を、蝦夷の荒々しさを感じたのである。

一関から、ここを通る道自体、「迫街道」と言った。

 

実際に歩いてわかったが、(地図に書いてあるが…)これは「川」の名である。

どうも曽良の日記では、登場する順番がおかしく、なにか勘違いをしているのではないか、という気もする。

この地図でいけば、「三迫川」「二迫川」「一迫川」の順に渡ってゆく。

どの川も合流し、最後は「迫川」になる。

 

三迫川

 

二迫川

 

一迫川

 

が、歩いているうち、わかった。。

「迫」は「川」というより、「土地」そのものを表している。

ここはまさしく「はざま」(狭間)ということではないか。

 

ここは「南東北」と「北東北」の「境目」なのである。

ここは川が山々、丘陵を削って生まれた地である。

川と丘陵が三重に連なっているのだ。

地図を見てわかるように、どの川の上流にもダムらしきものがある。

おそらく、どの川も昔は川幅が広く、水量が多かったように思える。

軍事面で考えると最適な防御拠点だったのではないか。

 

一迫川の案内板によると、この辺りは昔、ほとんど湿地、荒地で、江戸時代初期より、藩民一体となって、一迫川より灌漑用水を引くことに成功し、徐々に田地となっていった、と書いてあった。

芭蕉が歩いたころはまだまだ湿地、原野が多かったに違いない。

 

ここは何気ないところだが、色濃く「みちのく」というか、「蝦夷」を感じる地形である。

ここも、芭蕉が歩いた、昔の街道を通ったが、そのたびに峠越えがある難所である。

それぞれに橋が掛かっていたのかどうかも、気になるところだ。

 

なお、これはどうでもいいことなのだが、昔と今では地形も、川や土地の名称も変わっているかもしれないが、私なりに調べた「ルート」にしたがって正しい…というかわかりやすい表記を以下に記してみる。

 

快晴。

岩手県一関を立つ。

宮城県栗原市栗駒岩ケ崎到着。

三迫川を渡る。

宮城県栗原市栗駒八幡到着。

二迫川を渡る。

宮城県栗原市一迫真坂到着。

一迫川を渡る。

 

これですっきりした(笑)。

 

なお、「つくも(津久毛)橋」だが、ここは、あとで気づいたのだが「歌枕」の地である。

この橋については後日、書きたい。

 

 

 

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