(神奈川県横浜市鶴見区 総持寺)
昨日は西荻窪の「俳句の川」句会、「俳句の駅」句会と句会の二連チャン。
午前中の句会「俳句の川」では、自分としては軽めに作った句に滅茶苦茶、点数が入った。
が、冒険句を入れた、午後の句会「俳句の駅」ではまったく点数が入らなかった。
句会での点数は気にしないことにしているが、悩ましいところである。
今日は朝9時に起き、昼前に荻窪駅前の荻窪税務署へ。
確定申告前の事前申告をして、横須賀の自宅へ戻る。
途中、川崎と横浜の間にある「総持寺」へ寄ってみた。
総持寺は「曹洞宗」の「大本山」である。
曹洞宗の大本山というと、福井県の「永平寺」が思い浮かぶ。
曹洞宗の大本山は二つあるのだ。
「永平寺」は開祖・道元の開山、ここ総持寺は第四祖「瑩山禅師」(けいざんぜんじ)の開山。
正直、瑩山禅師のことを私はまったく知らなかった。
調べてみると驚く。
「曹洞宗公式HP」にはこう書いてある。
今から八百年ほど前の鎌倉時代に、 「道元禅師(どうげんぜんじ)」が正伝の仏法を中国から日本に伝え、「瑩山禅師(けいざんぜんじ)」が全国に広められ、 「曹洞宗」の礎を築かれました。
このお二方を両祖と申し上げ、ご本尊「お釈迦さま(釈迦牟尼仏)」とともに、 「一仏両祖(いちぶつりょうそ)」として仰ぎます。
境内を歩いて、
な~んだ…、大本山って言っても、道元が開いたお寺じゃないのか…?
と正直がっかりしたが、曹洞宗にとって「瑩山」は「道元」と並ぶ重要な人物らしい。
もっと驚いたのは、道元の頃は「曹洞宗」という名称はなく、この呼称は「瑩山」の頃から使われるようになった、ということだ。
これもWikipedia(「曹洞宗」)を引用する。
道元自身は自らの教えを「正伝の仏法」であるとしてセクショナリズムとしての宗派を否定した。
このため弟子たちには自ら特定の宗派名を称することを禁じ、禅宗の一派として見られることにすら拒否感を示した。
どうしても名乗らなければならないのであれば「仏心宗」と称するようにと示したとも伝えられる。
後に奈良仏教の興福寺から迫害を受けた日本達磨宗の一派と合同したことをきっかけとして、道元の入滅(死)後、次第に禅宗を標榜するようになった。
宗派の呼称として「曹洞宗」を用いるようになったのは、第四祖瑩山紹瑾(1268 - 1325年)とその後席峨山韶碩(1275 - 1366年)の頃からである。
世の中、知らないことがまだまだ多い。
境内は実に広い。
が…、永平寺のような観光客はまったくいない。
十数人程度しかすれ違わず、近所らしき、おじさんたちの散歩やジョギングコースになっているようで、実に長閑だ。
やはり、今日は寒かったのだろう。
(日中はややあたたかくなったが…。)
東京でも神奈川でも氷点下を記録した。
今年初めてではないか。
御手洗(みたらい)のところに氷柱が出来ていた。
境内の向こうから、体育会系学生のような大声が聞こえた。
見てみると、若い僧たちによる「雑巾がけ」の気合(?)らしい。
道元はなにより「清潔」を大事にした。
このことは以前に書いたことがある。
これも曹洞宗らしい風景である。
実はこの「総持寺」、昔からここにあったのではなく、石川県輪島市にあった。
もともとは真言律宗の寺院で、そこに瑩山が招聘され、禅宗の寺院に改めた。
この寺を「大本山」と定めたのは、1322年、後醍醐天皇なのだそうだ。
また、1615年、江戸幕府によっても「大本山」に指定された。
が、1898年(明治31年)に焼失し、1911年(明治44年)にこの地に再建された。
なぜ、この地に移ったかは…わからない。
これは私の勝手な推測だが、「福井県・永平寺」「石川県・総持寺」は割と近い。
隣県に大本山が二つあるのはもったいない。
石川県輪島は能登半島の先端である。
特に昔は、北陸地方の人以外、なかなか行くことが出来なかった。
それなら、関東に大本山を移転しよう。
曹洞宗の普及、発展にも有効ではないか…、ということではないか。
境内の隣は「鶴見大学」。
あきらかに「総持寺」の元境内にある。
鶴見大学は「曹洞宗」の大学なのか? と調べてみると、やはりそうで、学校法人総持学園が運営している。
ちなみに、
大正大学は「天台宗」「真言宗」「浄土宗」連合
仏教大学は「浄土宗」
龍谷大学は「浄土真宗(本願寺派)」
駒澤大学、東北福祉大学は「曹洞宗」
立正大学、文教大学は「日蓮宗」
である。
「鶴見大学」というと、国文学者・山下一海(やました・いっかい)先生のことを思い出す。
本当は「かずみ」というらしいが、みなさん、「いっかいさん」「いっかいさん」と呼んでいた。
ここで長年、教授をされていたが、2010年にお亡くなりになっている。
編集長時代、何度も原稿執筆をお願いしたし、長年、会社が主催する「山本健吉賞」評論部門の選考委員を務めてくださった。
晩年、耳が遠くなり、選考会では私やスタッフが側に付いて、他の選考委員の言葉をノートに書き、先生にお見せしながら、進行した思い出がある。
癌を患われて以来、声もかなり擦れてしまわれたが、その時でも一生懸命、選考理由を話されていた。
本当に誠実な方だった。
先生の執筆された『芭蕉百名言』は今も私の教科書である。
山下先生は学者でありながら、古典俳諧はもちろん、現代俳句も心得ていて、俳人からの信頼も実に厚かったし、尊敬されていた。
山本健吉もそうだが、優れた評論家には「評論の基軸」というものがあった。
山下先生は「松尾芭蕉」を「基軸」として、そこから現代俳句を睥睨していた。
今は「学者」は学者、「(現代俳句)評論家」は「評論家」で、広い視野を持った評論家が不在である。
それは「基軸」がないのである。
「基軸」というのは深い教養から生まれてくるのだろう。
そういう意味では、山下さんが最後の俳句評論家であったような気がする。
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