(東京都文京区 関口芭蕉庵)
蛇笏を芭蕉以上に、近代俳句の得がたき作家とする理由は、芭蕉はいちめん連句の人で、付句(つけく)の名人であり、恋の句の達人であった。
いってみれば、物語的な世界がいつまでも尾鰭のようについていた。
蛇笏は全くそれを捨てて立句(発句)一本に生きた唯一の俳人である。
―角川源義―
これは飯田蛇笏を讃える角川源義の言葉である。
源義は、近代俳句の得難き作家として、松尾芭蕉より飯田蛇笏を挙げた。
その理由として、芭蕉が、
連句の「付句」(つけく)の名人だった。
「恋の句」の達人であった。
と述べた。
蛇笏の立句の素晴らしさについては以前に書いた。
ここでは、芭蕉の「付け句」について考えたい。
「付け句」とは、連句に於いて、「5・7・5」のあとに付ける「7・7」句のことである。
芭蕉が生きた時代、「5・7・5」で独立した「俳句」(発句)よりも、みなで句を繋げてゆく「連句」のほうが盛んだった。
芭蕉は必然的に「連句」をメインとした。
芭蕉自身も、自分は発句よりも連句が得意だ、と述べている。
しかし、どういう風にうまいのか。
連句をやらない私にはよくわからなかった。
嵐山光三郎さんの『芭蕉という修羅』では、芭蕉の連句について詳細に解説している。
延宝3年(1675)、当時、隆盛を極めた「談林俳諧」の宗匠・西山宗因を招いて「俳諧百韻」が行われた。
芭蕉にとって出世の大チャンスの「座」に芭蕉は参加した。
その時の連句を芭蕉吟まで記す。
①いと涼しき大徳也けり法の水 西山宗因
②軒を宗と因む蓮池 蹤画
③反橋のけしきに扇ひらき来て 幽山
④石壇よりも夕日こぼるる 桃青(芭蕉)
芭蕉は③の句に、「7・7」の「付け句」をした。
ここからは光三郎さんの力を借りて、文章を引用する。
(③の句について)
蓮池に反橋がかかっている。
扇を開いて橋の上を歩く人に見たてましょう。
(略)
この吟で、ようやく談林らしくなった。
(④の句(芭蕉の句)について)
出ました! うまい。
(略)
やがて夕暮れどきとなると、(反橋の)石壇から夕日がこぼれ落ちる。
カーブした扇の端から、夕日がほろほろとこぼれてゆく。
幽山が詠んだユーモアあふれるシーンに一瞬にして鮮やかな夕日がさしこんだ。
蓮池の太鼓橋の石段に夕日が差し込んだのである。
これできれいな「蓮池の太鼓橋の夕日」の風景が仕上がった。
そして「丸太橋」に見立てていた「扇」のカーブからも夕日が差し、こぼれてゆく。
滑稽を引き継ぎながら、きれいな色彩が生まれ、美しい風景を生み出している。
なるほど、「付け句」の名人というのは、無名のころから発揮されていたのである。
まだ十分に理解したわけではないが、源義が指摘した「付け句の名人」というのもなんとなくわかる気がした。
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