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死ぬときは火柱たてて曼珠沙華     石飛如翠(いしとび・じょすい)

(しぬときは ひばしらたてて まんじゅしゃげ)


ここ数日、やっと涼しくなってきたので、

もう、いいだろう…。

と、一階に敷きっぱなしだった布団をロフトに上げて寝始めたのだが、今日はあまりに暑くて目が覚めた。
今も30.2度ある。
困ったものだ。
まあ、それはどうでもいい。

いよいよ(?)曼珠沙華が咲き始めた。
この花は不思議な花で、猛暑であろうと、冷夏であろうと、秋の彼岸に合わせて、咲きだす。
(あくまで私の印象だが…)。
もちろん、子供の頃から見ている花だが、(これもあくまで印象だが…)墓地や畦に咲く花という印象があったが、最近は山の麓や道端などでも普通に見かけるようになった。
別名・死人花というように気持のいい花ではなかった気がするが、最近は妙に「親しみ」を感じるようになった。
きkっかけはやはり大和路を歩いたことだろう。
大和路、飛鳥路には「曼珠沙華」がよく似合う。

10月4日から6日 曼珠沙華
9月26日 飛鳥の曼珠沙華

掲句。
「死」というものを斬新に捉えているのがいい。
「死」とは一般的には「滅ぶ」ものである。
しかし、その「滅び」の時に「火柱」を立てるというところに、作者の「生きざま」を感じる。
「生きざま」と「死にざま」はまったく同じものなのだ。
作者は「河」同人。
角川源義先生は、

俳句は述志(じゅっし)の文学

といったそうである。

俳句は志を述べる文学

さらに言えば、

俳句は志を述べる雄心の文学

と言っていい。
もちろん、「もの」や「風景」、「季語」に託して「述べる」のである。
そういう意味ではこの句はまさしく「述志」である。


俳句アトラスHP(ニュース~「村上鬼城顕彰俳句大会・鬼城賞に涼野海音氏」をUP!)http://haikuatlas.com/