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(愛知県名古屋市)

陽炎に燃残りたる夫婦かな      坪井杜国(つぼい・とこく)

(かげろうに もえのこりたる めおとかな)

坪井杜国は江戸時代の人。
名古屋俳壇の新鋭俳人で、松尾芭蕉の愛弟子だった。
杜国の事は以前にも書いたことがある。

小春

杜国は名古屋で有数の米問屋を営んでいたが、当時ご法度だった「空米取引」が発覚し、家財没収の上、伊良湖埼の保美へ流罪となった。
本で読んだ限りだが、「空米取引」はようするに「米の先物取引」らしい。
実際の米がまだ収穫されていないのに、売買を契約してしまうこと、差し押さえてしまうことだ。
先物取引をすると飢饉が起きた場合、経済が大混乱してしまう懸念があった為、幕府はそれらを禁止していたのである。
ただ、当時は暗黙の了解で誰もがやっていたことらしい。
杜国のような大店であれば、自分たちもしておかないと安定して米が確保できない、という事情があっただろう。
杜国の場合、それが何らかの事情で表沙汰になってしまったのだ。

掲句は流罪となった保美での杜国の一句。
なんと「子をころして」という前書きがある。
すさまじい俳句である。
「子をころして」とはどういうことか。
おそらく「間引き」したのではないか。
江戸時代…というか、それ以前も「間引き」というのは貧しい農村ではよく行われていたらしい。
経済的事情で子供を養うことができないので、なんらかの方法で子供を殺してしまうのだ。
当時は避妊方法も有効なものはなかった。

ただ、杜国の場合、罪人、家財没収とはいえ、店の番頭も伴って流れて来たから、貧しくて…ということではあるまい。
その理由はよくわかない。
「罪人の子」をこの世に残しても…、という自暴自棄のような考えでもあったのだろうか。

掲句。
勝手に想像すれば、子供を埋葬したあとの風景である。
子どもの遺骸を埋め、その場に立ち尽くす夫婦。
その周りには陽炎が燃えるようにあるばかりである。
「陽炎」は流罪の、そして子供を殺してしまった夫婦のうつろな心を象徴している。

また、ここでは「燃え残った」と書いている。
では「燃えていった」ものは何か?
子どもであり、子供の魂である。
子どもの魂は陽炎に燃えて消えていいったが、杜国夫婦は消えてゆくことができない。
美しい人の命は陽炎に燃えて昇華してゆくが、杜国夫婦だけが罪人のごとく、昇天されることを許されない。
そういう「罪の意識」「死への願望」をも感じるのである。

芭蕉は多くの弟子を抱えながら、一人、独自の高尚な詩の精神世界を築いた。
この句は「高尚」ではないが、深い精神世界が見事に描かれている。
芭蕉以外にもこういう「高み」へ到達した俳人がいたのは驚きである。

杜国は後年、「伊良湖の鷹」とも称された。
かつて杜国は確かに「鷹」だった。
20代の若さでありながら、天下の大都市・名古屋有数の豪商であり、絶世の美男子であり、俳句の才能も優れていた。
その名古屋の鷹が、今は失意の伊良湖の鷹となって黒潮の空を彷徨っているのである。
同時作に、

水錆て骸骨青きほたるかな

(みずさびて がいこつあおき ほたるかな)

というさらに凄まじい句がある。
杜国ははるばる訪ねてきた芭蕉を伊良湖に案内した。
その時、芭蕉が伊良湖で杜国に贈った句、

鷹ひとつ見付けてうれし伊良湖崎

の「鷹」は現実の鷹でもあり、杜国のことでもある。
二人はその後、名残を惜しむように関西地方に旅した。
杜国はその数年後に没した。