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(栃木県那須町  遊行柳)

遊行柳のことを、芭蕉は「清水流るるの柳」と表現している。
これは、

道のべに清水流るる柳かげ しばしとてこそ立ち止まりつれ   西行法師

の和歌のことを言っている。
西行法師が詠んだ、この柳が「遊行柳」である。

なぜ「遊行柳」かというと、謡曲「遊行柳」に由来する。
以下はコピペである。

遊行上人(一遍上人)が奥州行脚の際、この近くで老人の姿をした柳の精に出会う。
上人は、西行が詠んだ「朽木の柳」へと案内され、老人は、そこで上人に念仏を授けられて成仏する。
夜になると、柳の精霊が再び現われ、上人に、柳にまつわる故事をつらつら語り、報謝の舞を見せて姿を消す。

というものである。
室町後期の能楽師・観世信光の作であるから、西行法師が訪れた時は「遊行柳」とは呼ばれていなかった。
ひょっとしたら、西行が詠んだ「柳」はここであったかどうかもうたがわしい。
しかし、そういうことはどうでもいいような気がする。

西行は、和歌の中で、清らかな水が流れる柳の陰に、

しばらく立ち止まりましょう。

と呼びかけている。

芭蕉はそれに和して、

田一枚植ゑて立ち去る柳かな

と句を詠んだ。

この句にはいくつか解釈が存在するが、私は、

早乙女たちが田んぼ一枚分を植え終わるほどの長い時間、私はここでたたずんでいました。

と解釈すべきだと思う。
なぜなら、この句は、

西行法師および西行の和歌への挨拶

だからである。

あなたが「しばらく立ち止まろう」と詠った柳にやっと来ることができました。
私もしばしたたずみ、あなたの和歌をしみじみと思いました。

ということなのである。
つまり、これも、私がよく言う、

時空の中の詩歌のやりとり

であり、

千年の声を聞く

ということなのである。

私はこの遊行柳に10回以上も来ている。
30代後半の頃、ちょうど離婚のことなどもあって、悩むことばかりで、そういう時、この柳まで車を飛ばしてきた。
そして、ここに「たたずみ」、いろいろと考えた。

いや、いろいろ考えた…というより、この柳風に吹かれ「(みっともなくても…)これが今の私の姿なのだ…」と納得して、帰っていったのである。

西行がたたずんでから500年…、芭蕉がここにたたずんだ。
芭蕉から300年以上…、今、自分がここにたたずんでいる。
実は、ここには与謝蕪村、正岡子規も訪れている。
名も知らない俳人を入れたら、どれだけの人々がたたずんだことだろう。
みな、希望や悩みを抱えて、ここに「たたずんだ」のである。

そのさまざまな人生を、この柳は見てきた。
この柳はすでに何代目かの柳であるが、少なくとも、ここで歌われた「詩歌」たちはここに今もたたずんでいる。
それこそが「詩歌の永遠性」なのである。
そして柳の精霊も今でもいよう。

すべてを抱えてこのまま生きるのだ。

とここにたたずむと柳やその詩歌に諭されるような思いがする。
ここはそういう思い出の場所である。

「旅」は単なるレジャーではない。
旅人の人生をやさしく、厳しく包んでくれる大きなものなのだ。
と、ひさびさに仰いだ「遊行柳」にあらためて教えていただいたような気がした。