小萩ちれますほの小貝小盃 松尾芭蕉
(こはぎちれ ますほのこがい こさかずき)
「ますほの小貝」は、ある貝のことをいうのではないらしい。
「ますほ」とは、どうやら「赤」ということらしいのだ。
つまり、「赤い小さい貝」が「ますほの小貝」である。
(諸説あるが…。)
先日、「ひまわり」の西池冬扇主宰がご来社された時、私が「今度、福井へ行くので、種(いろ)の浜の『ますほの小貝』を探してきます。」というと、「小さい浜辺でびっくりしますよ。」と笑っておられた。
西池先生は「ひまわり」の定期吟行で「おくのほそ道」すべて回られていたのである。
もう亡くなったが、秋山巳之流氏(「河同人、角川「俳句」編集長)が以前、「河」誌上で、種の浜の埋め立て計画に強く反対する文章を書いていたことを覚えている。
そのことはすっかり忘れていたのだが、先日、ふと思い出したのだ。
実際に行ってみたら「原型」がよくわからないので、どの程度の埋め立てが行われたかはわからない。
が…、埋め立て後、「ますほの小貝」が激減したのは本当らしい。
潮染むるますほの小貝拾ふとて 色の浜とは言ふにやあるらん
(しおそむる ますほのこがい ひろうとて いろのはまとは いうにやあるらん)
と西行法師が和歌に詠み、西行を慕い、芭蕉もここを訪れたのである。
海を紅に染めてしまうますほの小貝を拾っている。
ますほの小貝がたくさんあるので、「色の浜」というのだな・・・。
という意味である。
さて、掲句だが。つい最近まで意味がわからなかった。
「小萩ちれ」というのは「萩も散りこめ」という意味だろう。
「小貝」を踏まえて「小萩」としたことはわかる。
「小盃」というのがわからなかったのだが、どうやら、芭蕉は、ますほの小貝を拾ったあと、近くのお寺で「お酒」をいただいたらしい。
その盃なのである。
一説では、その拾ってきた小貝を『盃』に入れて楽しんだそうだ。
なんと風流なことか。
そして、その盃へ、萩も散りこんでこい、と呼びかけたのである。
つまり散文的にすれば、
ますほの小貝(を)小盃(に)。
ということになる。
澄んだ酒に沈み込んだ薄紅色の貝…、そこに同じ薄紅の萩が散り込んだらどんなに美しいだろう。
きっと震えるような喜びに違いない。
そして、その酒を飲みながら、西行の和歌をたたえるのである。
そこまで考えると、この句がとてもいい句に見えてくるが、どうだろう。
芭蕉の詩心というのは本当に美しく、風雅である。