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(奈良県吉野山)

歌書よりも軍書に悲し芳野山               各務支考(かがみ・しこう)

(かしょよりも    ぐんしょにかなし    よしのやま)


昨日のブログで、質問をいただいたことを書いてみたい。
「歌枕」と「季語」の関係について…である。
昨日、私は、上記の支考の句を上げ、

無季の句だが、その説明をすると長くなるのでここでは省く。

と書いた。

簡単に言えば、

「歌枕」が一句に入っている場合は季語は入れなくてよい。

のである。
この句の場合、桜の名所「芳野山」(吉野山)が歌枕である。
これは松尾芭蕉の言葉だ。

名所の句のみ雑(ぞう)の句にもありたし。
季を取り合はせ、歌枕を用ゆる、十七文字にはいささか志(こころざし)述べがたし。

この言葉は芭蕉の高弟・向井去来が記した『旅寝論』の中にある。
『旅寝論」は芭蕉の教えを、去来が記したものである。
「雑の句」とは、この場合、季語を入れない句、つまり「無季句」を意味する。
「歌枕」は、和歌に多く詠まれている名所旧跡のことである。
意訳するとこうなる。

名所旧跡の句だけは無季の句でありたいものだ。
一句の中で季語を入れ、さらに歌枕まで入れてしまうと、
十七文字で思いを述べるのが難しくなってしまう。

これについて、長谷川櫂さんが的確な解説をしているので引用する。

季語同様、想像力の賜物(たまもの)である歌枕にも、
季語の宇宙に匹敵する歌枕の宇宙がある。
だからこそ、芭蕉は歌枕の句には季語は必ずしも必要でないと考えた。
――『一億人の季語入門』――

季語はそれだけで「詩の宇宙」を持っている。
例えば、夏の季語の「蝉」。
われわれは「蝉」という季語から「蝉そのもの」だけを想像するのではない。
蝉の姿はもちろん、鳴き声、真夏の暑さ、ぎらぎらした太陽、樹木や、樹木に覆い茂る夏の青葉なども想像する。
また、少年の頃の蝉捕りの思い出なども想像するだろうし、あるいは、蝉の成虫は一週間しか生きられないことを知っているわれわれは、そこから「命のはかなさ」を見る。
「季語」にはそういう詩的な「連想性」があるのである。
櫂さんの言う「想像力の賜物」とはこのことであろう。
これを「詩語」と呼んでおこう。

同じようなことが「歌枕」にもある。
例えば、歌枕の「白河の関」(現在の福島県白河市)といえば、能因法師の、

都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関   

が思い浮かぶ。
他にも、

たよりあらばいかで都へ告げやらむ 今日白河の関を越えぬと       平  兼盛
秋風に草木の露をば払はせて 君が越ゆれば関守も無し               梶原景季   

などの和歌がある。

作者は「白河の関」を詠む時、これら、先人たちの和歌が作り上げた「詩の宇宙」を念頭に詠む。
たとえ作者にそういう意識がなくても鑑賞者はそういうものを意識して鑑賞する。
他にも、いにしえの都人には異郷の地であった「みちのくへの入口」、都から遠く離れた辺鄙の地、古代の蝦夷対策の軍事基地だったことなどを、いにしえ人は思い浮かべながら、白河の関を詠んだ詩歌を味わう。
それが「詩歌の伝統」なのである。
つまり、「歌枕」も「詩語」で、「想像の賜物」なのだ。
「歌枕」にはその地の持つ歴史、風土、先人たちの和歌…そういった「詩的空間」が存在する。

十七文字に「季語」と「歌枕」を入れた場合、それら広大な二つの「詩的空間」を一つに収めることができるか?
よほどうまくやらなければ失敗してしまう。
だから「歌枕」があれば「季語」は入れなくていいのである。
無理に季語を入れず、歌枕の持つ詩空間を、一句の眼目としたほうがいい、ということである。
上記の支考の句はそれを踏まえている。

ここで大きな問題がある。
多くの人が俳句は「季節」を詠む詩、と思い込んでいる。
しかし、芭蕉のこの言葉は、それを否定している、と言ってもよい。
季語を詠む事、詠む姿勢、主義を一般的に「季題趣味」「季題諷詠」という。
「ホトトギス」の俳句がそうであろう。
上記の言葉から、芭蕉、そして芭蕉の俳句は「季題趣味」ではない、ということがわかる。
芭蕉の俳句の目的は「季語」「季題」あるいは「季節」を詠む事ではない、ということだ。
このことを考えると、また、長くなるので(申し訳ないが…)今度の機会にする。

いずれにしても「歌枕」がある場合、季語はいらないとはそういうことである。
簡単に言えば、一句の中に「強い季語」(?)が二つある場合と同じである。
「季重なり」自体は全然問題ないのだが、誤った使い方をすると、季語の情緒がぶつかり合って、一句を台無しにしてしまうことがある。
そういうことと同じである。

話を歌枕と季語の話に戻す。

ただ…、である。
現代においてもそれは通用するか、となると私は出来ないと考える。
わわわれ(作者も鑑賞者も)は、「白河の関」と聞いただけで、上記のような「詩的空間」を想像することができるだろうか?  
「宮城野」(現在の宮城県仙台市)と聞いて、

宮城野の萩

をすぐに思い浮かべるだろうか?
「小夜の中山」(現在の静岡県掛川市、島田市)と聞いて、

箱根、鈴鹿と並ぶ東海道の三大難所
古代の東国への入り口

だったことを思い、考えるだろうか。
また、そのことからいにしえ人が、小夜の中山を、

越えるに越えられない恋の道

として 例えていたことをわれわれは思い浮かべるだろうか。
そして、西行法師の、

年長けてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山

の和歌を思い浮かべるだろうか。

ほとんどの人がしない、と私は思う。
そういう意味で、近代以前と以後は、詩歌において大きな断絶がある。
現代の詩歌において歌枕の「詩的宇宙」はあまりに狭くなってしまった。
それゆえ、芭蕉の言葉が、現代の詩歌にも通用すると私は思わない。
いいことなのか、悪いことなのかわからないが、(おそらく悪い…というか悲しいことだが…)現代俳句では「歌枕」が「季語」の代役にはならないと私は考える。