先日、本を読んでいたら、
 
唐崎の松は扇のかなめにて漕ぎゆく舟は墨絵なりけり    紀貫之
 
という和歌に出会った。
 
おや、と思った。
これは、
 
辛崎の松は花より朧にて   松尾芭蕉
 
にそっくりではないか。
 
これまで、私はこの句が気になって、幾度か書いてきた。
 
 
 
 
この句は芭蕉の句の中で、唯一、「切れ」のない句とされている。
その理由を私は、小野小町への思いが下敷きにあり、また、この地が歌枕の地であることから、女性的あるいは和歌的雰囲気を一句に残したかったのではないか、と推察してみた。
 
しかし、この貫之の和歌を見れば、これは本歌取りであったことがすぐにわかる。
なんだそういうことだったのか、と納得した。
 
しかし、本歌取りだからといって、「切れ」がなくていいわけではない。
やはり、そこには芭蕉のさまざまな思いがあり、試行錯誤の果の作であったのだろう。
 
自分の知識の無さを嘆くばかりだが、一つ、すっきりしたような気分である。
 
ただ、私が思うに、芭蕉の俳句とは、単なる写生や感懐だけでなく、和歌より続く「伝統」というものを常に意識し、その大きな詩的世界に遊ぶことが、大きな目的であり、これこそが現代の俳句が忘れているものであろう、と思った。
 
森澄雄さんだったか?
俳句の始まりは正岡子規でも松尾芭蕉でもない。
万葉の頃から日本の詩歌はあるのであり、俳句もそういう大きな詩歌の流れの中で見なければならない。
というようなことを言っていた。 
 
そのとおりであろう。
俳句はそういう大きな世界に遊び、表現されねばならない。
もちろん、新しさを求めることが悪いののではない。
芭蕉も新しみは俳諧の花とも言っている。
しかし、そういう大きな視線を忘れて、目先の新しみだけでは駄目なのだ。
目先の新しさばかり追っていても、いずれは枯れてしまう。
それは俳句の衰退を意味するものだ。
そのへんのところを、自分のことばかりではなく、自分の生きている間のことばかりではなく、考えて欲しい。
 
今年最後の割りにはたわいないことを書いてしまった。
みなさん、どうぞよいお年を。