「先生!これ見てください!」

「ここの数字は偏差値をあらわすのだよな? 72…。これはすごいな。」

「学校の先生に褒められました!」

「そりゃそうだろう…校内1位どころか全国でも2桁ではないか。
 俺がきた時は確か32だった気がする。
 倍どころかそれにプラス10ってお前すごいな。」


ーーー


「えー 伊藤先生 今日は来られないんですかー?」

「雪が積もっている。山の上の君の家はもっとひどいだろう。チョロQみたいな俺のクルマではぜったいスピンする。リアルでマリオカートみたいなことはしたくない。」

「大丈夫ですって! 午後から日が照ってきてだいぶ溶けてきてますから!」

「日が沈んで俺が帰る頃になったら今度は凍って、もっと怖いではないか。」

「今日は大丈夫な日ですって!」

「・・・。」


ーーー


「結局今日の家庭教師はいくことになったの?」

「押し切られた… というか普通はもっと勉強をいやがるものだろう。」

「◯◯くんはせいじくんのことを大好きだからー(笑) 成績だってすごく上がったんでしょ?」

「ああ 偏差値72のことか。アレは瞬間最大風速みたいなものでその後は50台半ばで落ち着いている。」

「でもせいじくんはすごいよねー。塾の先生の時に続いて家庭教師でもそんなに成績をあげて。」

「俺はマジメに授業せんからな。ただ一発逆転があるとしたら『俺か数学を好きになれば、あるいは』と思っていた。結果としてうまくいったようだ。

 ただおかげでこっちは今夜雪道ドライブになったけれど。」


ーーー

「伊藤先生、おひさしぶりです!」

「おー 1年ぶりぐらいか。どうした急に。」

「先生のおかげで◯◯大学に進学することになりまして。」

「公立大学ではないか。よく頑張ったな。」

「伊藤先生のおかげです!自分的にはぜったい行けないような大学に決まって!」

「俺が君のところにいっていたのは高3になるまでだ。その後の君の頑張りがあったからだ。よかったな、おめでとう。」

「ありがとうございます! あと親が払ってなかった授業料のことなんですが…」

「あー 請求するのがめんどくさくて放っておいた最後2ヶ月分ぐらいか(笑) 合格祝いということで親御さんになんか買ってもらってくれ。」

「いや!ダメです! 伊藤先生がいなければ大学に行けてたかどうかもわからなかったんで!」

「そうか、ならばメールで口座を教えるので気が向いた時に入れておいてくれ。申し訳ないな。」

(後で記念品か何かを買って贈ろう)

(と思いつつ結局は失念したのだった。)


ーーー


「伊藤先生の授業って独特ですよね。」

「私はマジメに授業しませんから。」

「でもすごい人気ですよね。」

「勉強なんて結局『やるかやらないか』だと思うんですよ。
 それに対して結構な数の親御さんや先生が『やれ』という。
 これは2つの意味で間違っている気がするんですよね。

 1つ目は『やらなくてはいけない』という妙な焦燥感だけを子どもに与える。
 2つ目は『そもそもやり方がわからない』という子がかなりいる。

 だから私はその逆をやっているだけです。先生のくせに「やらなくていい」「覚えなくていい」しか言わない、そりゃ人気も出ますよ(笑)

 でも肝心なところだけは「ここだけやっておけばいい」と伝える。勉強はやればやった分だけ成果がでますからそこだけやっても成果は出ます。成果がでれば子どもは嬉しい。そうなるとあとは「やらなくていい」と言ったところまで勝手にやりはじめます。こうなれば放っておいても成績はグングンあがる。

 という風に私のやり方は多分に『催眠術師』みたいなんで効く人間と効かない人間の差がはっきりでる。素直でマジメで私の事が好き、これ催眠術が効く条件そのものですけど、そういう生徒ほど成績がよく上がる気がします。

『負担感』を減らしてやって、『やるべき事』をハッキリ明示してやる。勉強だけでなく人材育成ってこんなもんだと思うんですけどねー。」


ーーー


以上、過去最高に『催眠術』がうまくかかった時のお話でした。

私は若かりし頃から生徒に対して「うまく教える方法」などというのには微塵も興味がなく、「心理誘導」とかでなんとか努力せずに成果を上げることばかり考えていました。

もちろんまったく効果がなかった生徒がいたことも最後に追記しておきます。


ということで前後編に渡る私の長い思い出話にお付き合いいただきありがとうございましたー。