朝ご飯食べながらblogを書いてみるテスト。ということで現在ガスト学園通り店です。GW中のせいかすごく混んでいます。


以前、三島さんと同じく朝ガストで朝食をご一緒しながらこんな話をしていたのが思い出されます。

「伊藤さんは塾時代の再現が目標だとおっしゃられていましたが、

  

もう再現はできたんじゃないですか?」

「なにを言っているんですか! まだまだ、ぜんぜんですよ!」

お互いに人の上に立つ人なので結論から話し始め、互い別のことを言って、あとで「なんだそういうことか」というのはザラで、この時も三島さんの言う意味では「完成している」し私が否定した意味では「まだまだ」なんですよね。




私の人生の中であの塾で過ごした4年間。いや柴田先生と西川先生の下で過ごした3年間は、まさに青春そのものといっていいものでした。


「講師として、より上を目指す。」


人格、技術ともに優れた先輩のもと、時には叱られ、時には励まされ、夜が明けるまで語り合って、日々あのお二人に少しでも近づけるように努力…などはしていませんでしたね。

ただ単にあのお二人が好きで、それを含めた皆で過ごすのが大好きだったので勉強会だけじゃなく、相当な時間を過ごしました。

そしてそうこうしているうちに、いつか書いたように 最下層常連・クビ直前だったブラック講師は、いつの間にやら辞めるまで全国ランキングから名前が消えることが1度もなかった人気講師にまでに成長しました。



私があそこでもらった「人前で話す」という技術は今やSEIJIという人間を語る上で欠かせないものにまでなっています。


「進学会がなければ、先輩があのお二人でなければ、

 今の私は、私のまわりにいる人たちは誰一人ここにいなかっただろう。」

もう顔をあわさなくなって、連絡もとらなくなって10年以上の時が経った今でもお二人に対する思慕の念は衰えるどころか近年ますます強くなってきています。

そして私が今やっていることは、進学会やお二人がしていたことをそのままなぞっているだけともいえます。


なので冒頭の三島さんの問いにムキになって反発したのです。


「今の私は柴田・西川両先生には遠く及ばないし、

  10年前の私たちは、今のパンドラボックスには一人もいない。」


でもそういうことはあまり言わないようにしています。

進学会は今も昔も島大生にとってただのバイト先ですし、放送サークルはただのサークルです。


それ以上でも以下ではあってはいけないと思っています。



ただ、人生のどこかで振り返った時に

「あの【メンツ】とあの【時】あの【場所】にいることができたことは、


 実はこの上のない幸せなことだったのだな」


と思いおこしてくれたらいいかなとそう思っています。




今の私がそうであるように。



ただ、ななちゃんが放送サークルを去るにあたってくれたメール。なによりもうれしかった。


今、私がお二人にお礼の手紙を書くとしたら、ぜったいこんな風になるだろう、と思って読んで、あまりに嬉しかったので昨日の番組で取り上げさせてもらいました。



『らじお千里を走る』 第29回 

http://www.pandora-box.net/ladio3/20_tue/senri_029.mp3

 (SEIJIの「嬉しかったこと」のコーナーは41分20秒ぐらいから)





このメールを読んで、私のまわりの学生は本当に変わったのだな、と思い知らされました。



以下はパンドラボックス設立2ヶ月の頃(ちょうど今から3年前の5月)、ななえさんからのメールの抜粋です。完全に原文ママ、1文字も変えていません。



【件名】

 伊藤さんのことが嫌いなななえさんよりアドバイスです


【本文】

(前略)


別にみんなが頼んで事務所を開いてもらったのではありません。


伊藤さんが勝手に、放送部が手伝ってくれたら嬉しいなと思い、

快適な事務所、機材等を用意しただけです。


事務所が潰れる、赤字になる等で困るのは伊藤さんの勝手です。


伊藤さんがボスでは絶対にありません。


(中略)


最低男です。28歳らしい大人な伊藤さんを望みます。





同じメールでもこれを見たとき、血の気がひき、その時までの私がいかに愚かであったかを思い知らされました。







「信じていれば、わかってくれる」




そう思っていた私の甘さを端的に指摘してくれ、私をサークルの先輩から経営者に脱皮させてくれた、まさに名文です。


学生など私に寄生するダニのようなもの。


ならば私も割り切ろうではないか。


使えるものは使い、使えないものは捨てる。


我々は利害が一致しているからともにいるのだ。


そうでなくなれば切り捨てることになんの躊躇もない。




「私は学生のことがキライなんですよ。」

と、以前オシャレなカフェで2人で食べている時に角さんに言って大変驚かれたのを未だに覚えていますが、その認識は未だに変わってなかったり。

どいつもこいつも一枚むけばこれぐらいの認識なのだろう。





「これは私の意見ではなく、

 みんなが思ってるだろうなぁということを

   みんなのかわりに代弁しただけなんですぅ」


大人な対応を心がけていたのですが副部長になったばかりの莉奈ちゃんを泣くまで追いつめたことにいよいよ怒った私が強烈に言い返したらこんどは涙をうかべながらこんな言い訳をしていました。


「なるほど。それが学生みんなの意見か。

     ならば参考にさせていただこうではないか。」




これがこの3年の私の学生に対する基本スタンスです。


アテになるのは野津くんと莉奈ちゃんだけ。

そう思って考えてもらうと日頃の私の学生に対する姿勢も理解してもらえるのではないでしょうか。


誰も信用せずにこの3年やってきた中、このななちゃんからもらったメールは私の学生に対する認識と明らかに一線を隔すものでした。


それゆえに最初に読んだ時はダメージに近いものを感じました。ななえさんと一緒にして悪かった、と。



そして今ようやくこう思えてきています。



「10年前の私が、柴田先生や西川先生に抱いていた思い、

 それを今の私にむけてくれる子がはじめてあらわれた。

 ちょっとはあのお二人に、私は近づけただろうか。」


それが私にとって何よりも嬉しいことであるし、最高の讃辞。


そういう意味では三島さんがおっしゃるように「塾時代の再現」は成し遂げられようとしているのかもしれませんね。


そして、ななちゃん。

君からもらったこのメール。一生大切に保存しておく。


残念ながら我々の道はここで分かれてしまうけれど、私はいつまでも君のことは気にかけ、応援している。


何よりもすばらしい人生を。


どのように距離や時間が離れようと私はそう思っている。




…そして私の尊敬するあのお二人も、そう思ってくれたら嬉しいなぁ。



ということで今日は「嬉しかったこーとー♪」の番外編でした。



それではまた明日。


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