昨日も書いた方針転換 の一つに「自分と自分が知り得る外の評価を明らかにする」というのがあるのですが、それならばまずぜったいに最初に明らかにせんといかんのは私の水商に対する評価だろうなと。


勉強会の時にちょろっとだけ言ったけど、今日はできるだけ全部、書いてみようかと。


莉奈ちゃんが「SEIJIさんは水商くんのことが大好きですね~」ってよく言うけれど、確かにマザー・テレサの言葉「愛情の反対は無関心なのです」をいれるのであれば、無関心どころか、パンドラボックス設立した年にラジオ参加しはじめた唯一の1年生であり、うち最初のプロパー(生え抜き)であるのだからずーっと興味を持ってみてました。なのでたぶん”大好き”なんでしょう(笑)


今考えると私の中であの頃のパンドラボックスの設立意図は「私の学生時代の塾の再現」でした。


私やちゅうそんやタクくん、Y中くんなどさまざまな個性あふれる人間が集まり、自らの授業の質の向上を目指してよきライバルとして研鑽に励み、よき仲間として深夜まで語りあかし、プロ意識にかけるものは脱落し、そしていつか松江本部は全国でもトップクラスの学生講師達の集まりになっていました。


みんな何より「おもしろい」人間のあつまりでした。私やタクくんやちゅうそんなどおもしろさのレベルでは「中の上」といったところ。上などごろごろ。仕事おわりのみんなで食べにいく晩飯ではいつも腹がよじれるほど笑わされ、笑わせあい、毎日とても楽しかったのを覚えています。


そしてみんな向上心があるまぎれもないプロだったので、子どもの評価もよくビジネスとしても好調のようでした。だから「よし、パンドラボックスの目標はあの頃の塾の再現だ。学生が楽しんで働き、塾はその場を提供する。その中で切磋琢磨する中で実力をあげて、やがて世間で通用するレベルに」と。



んで、2008年度「ボクらのトーク84円」の最終回で私とちゅうそんが言っているみたいに「この1年間で1番伸びたのは水商」というのはタクくんも含めた私たち3人の共通見解でした。


考えて見れば、男だけの”らじおりあん”を見ていたちゅうそんに小声で「これ、すっげーつまんないですよ。よく辞めさせませんね。SEIJIさん一番こういうの怒るでしょ?」と耳打ちされたこともありましたが、そこから考えれば格段の進化。


しかもそれは、本人がしゃべることに対していたって真摯で、アーカイブは必ず聞き直し、週5日中3~4日はパンドラボックスに来るという暇さ 熱心さで俺やちゅうそんやタクくんがしゃべっているのを全部間近で見て、しかも金曜日の”くるくるぱー”終わりに、いつもまっちゃん達が「伊藤さん、どうしたらいいと思いますか?」ときいてくるので恥ずかしながら私の「ボケ、つっこみとは」「返しとは」「話にメリハリをつけるには」みたいな話を毎週深夜2時ぐらいまでやってたのですが、そのたびにフンフンとうなずき、時には自分の意見をいい、またご丁寧に帰ったらブログでそのことについての感想などを書くという徹底した勤勉ぶり。



正直、これはすごい。と思っていました。だからこそ伸びたのだろうなぁと。


なのですごい期待していたのですよね。1年生の1年間でこれだけ伸びたのだから4年生になる頃には俺達3人に肩を並べるか、もしかしたら上を行くかもしれん。みたいな話をしていました。



でも1年目が終わって、タクくんと離れたらへんから話がおかしく。



一番最初に「ん?」と思ったのはマイナちゃんがラジオに参加することになった時、マイナちゃんはほとんど放送部の人知らないし、タクと宅飲みに出てて唯一よく知ってて仲もよかった水商に「もう1番組でれる?」と何の気ナシにオファーしてみました。


それがよくなかったのか、その後の活動日誌やラジオなどで「俺だけ2番組ww うっはww 俺、売れっ子www」とか「俺の冠番組www」みたいなことよく言うようになって、最初はネタかと思ってたのですがきけばきくほど「ヤバい・・・。これはマジだ・・・」と。


2番組目なのは前述の理由だし、冠番組は「アーティストの拓くん以外はみんな恥ずかしくてそんな名前つけないだけで、どっちかというと恥ずかしげもなくそんなこと言える方が俺には驚き」とか思ってたわけです。


なのでその次の編成からは「2年生以上は一番組のみとします」というわけのわからないルールを。(なんでアイツの勘違いを防ぐためにこんな意味不明なルールを・・・とかブツブツいいながら編成していたのを覚えてます)(今考えれば「なら、言ってやれよ!」と思うのですが)



しかもラジオもまったく成長が感じられなくなり、どっちかというと「うまいねんけど、まったくおもろない。なまじうまくしゃべろうとしてるのがわかるだけ腹立つ。しかも本人なんか得意げ」というどんどんネガティブな評価に。



んで今年度に入ってからはそれに拍車がかかって昨日の「質の高いトーク」とか、あと1年生にむかって指導しているのをきいてて「ん?」と思うのだけどあまりにしたり顔で言っているので「イヤ、それは違うんじゃないかな」とか言ったらコイツのプライド傷つけるんやろうなぁ、それはかわいそうやし、そんなもん「水商、ちょっと来てくれ」って呼び出してまでする話ちゃうし、だいたい俺かて正しいかどうかわからんし。



とかいうことをグチグチと考えていたり。そのたびに莉奈ちゃんは「水商くんのこと大好きですねー(笑)」って言ってたけど。


これもし、タクくんかちゅうそんがおってくれたら「アレ、ぜったいちゃうと思うねん」てきいて「僕もそう思います」って言うんやったら「よし、俺の勘違いではないな。言おう」ってなってたと思うけど、おらんかったので俺達のラジオのヘビーリスナーでプロの司会者である角さんの登場を待つまでずーっと黙ってた。(勇気を出して言うたことあるけど、結局あんまり効果なかったし。)



なので水商に関しては


「極めてもったいないことをした。」


という評価をしている。


パンドラボックス最初のプロパーであるだけに俺の人材育成の杜撰さを象徴するような存在やなと。だからついよく口をついて出てしまうし、大学祭ステージみて最初に思い浮かんだのは水商で「アイツがこれ以上の仕事をするとは思えない」というのが昨日の話の発端。


だから自分自身の反省としてよく分析をしている。「俺はコイツに何をしてやるべきだったのか」と。



何度も言うが1年目の蓄積があるので技術でいうならばうちの学生の中ではピカイチである。それは認めている。ただそれが必ずしも「おもしろさ」に結びつくわけではなく、逆に足をひっぱることもあるのだなということを思い知った。


だからこの前の勉強会は来た人全員が「え? そんな話?」と思ったはず。これは俺の強烈な反省からきている。水商にはいくらかテクニックは教えたし、本人もそれ以上に身につけている。でも俺の望むような成長はみれなかった。



俺が本当に伝えるべきは「我々はプロだ」「君はなぜ法廷に立つ?その理由はなんだ?」のようにその下の根っこの精神・姿勢・志の部分なんやろうなと。だからあんな内容になった。



三島さんに言われて「伊藤さんは自分の考えを学生さんに伝えるべき」と言われてそれを信じてこのように恥ずかしげもなく内面をさらけだしているが、これが本当に正しいことなのかは未だにわからん。


Twitterでの自分の連投を読み返すと「ウザ!」って思うし、これかて読んだ学生が「水商先輩、こんな名指しで批判されてかわいそう」と思うのは容易に想像できる。


ただそれぐらいのことを無視するのは今の俺にとってなんでもないが、果たしてこれが俺や水商やパンドラボックスにとっていいことなのだろうかというのはようわからん。


尊敬する三島専務のお言葉だし、ななちゃんとかによく言っている「人にすすめられたことをやる前から頭ごなしに拒否しない方がいい」というのは俺自身にもあてはまることだから、やっている。(三島さんに言うたら「いやいや、そういうことじゃないですよ(笑)」とか言われるかもとかも考えるよな・・・。)



私は人に指示する時は微動だにしないようにしているのは、使われるものにとって上がフラフラしているのはなんともやりにくく頼りないだろうと思うから。


ただ、いざ決断を下すまでの本当に長い時間は常に「これで正しいのだろうか?」という逡巡と葛藤を繰り返しながら考えている。これが「経営者の苦悩」なんかなぁと。




なんか最後の方はエッセイみたいになってしまったけれど、実はまだ水商に関して2つ、書いておかんといかんことがある。


・今の水商と俺は、10年前の俺と西川先生なんやろなーって話


・この前の「実は」をきいていて思った、俺・角さんと下級生の水商に対する評価がまるで逆な理由


この2つを次は書いてみようと。


ううう。。。また長文の駄文と自分語りを・・・ 恥ずかしい。そして例によって素に近づくと関西弁に・・・。



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