例えば実家に帰ったときに歩いていろんなところを移動してるとワリと知らない道があったりするんですよね。ちっちゃい頃あんなに探検ごっことかしてたいていの道は制覇しつくしたのに。
それは実は阪神大震災のせいだったりします。
ちょうど15年前、私がまだ中学3年生だった頃に私の住んでいる地域の地図はいっぺんしました。
ということで今日は地震の悲惨さを語る「The 災害体験!」という話がしたいのではなく、(うちのオバさんもあの地震で亡くなってますけど)不謹慎覚悟で言うならば「よかったな」と思うのですよね。
実家の最寄りの駅である阪急「売布神社」の駅もその周辺も、また地震の被害が軒並みでかかった地域もすべてこの15年で新しいピッカピカの街に生まれ変わりました。
地震がなかったらこうはなってなかったなぁと。
またこれもよく思うんですよね。「戦争は悲惨だ」とよく言うけれどもし先の大戦がなかったり、あったとしても不介入など、日本があそこまでの泥沼状態で負けてなければどうなっていただろうかと。
たぶん明治以来の矛盾を内包したままの現代だと思うのですよね。明治維新の元老が力を握り、軍部の影響力は大きく、あいも変わらず軽工業が盛んで、小作農や労働者は資本階級に使役され続ける。
太平洋戦争にしても、阪神大震災にしても、”破壊”と言うのはあらゆる矛盾を解消した上の”新生”を導くものだと私は思うのですね
なので私は「痛い目」をみること自体を悪いコトだと思っていません。
今までの人生でほぼ確実に、「痛い目」をみたあとは、暮らしやすく、住みやすく、合理的に何かが変わってきました。
それは今まで抱えてきた矛盾が一気に解きほぐされたからでしょう。
私も2年ほど前、学生との関わり方で「ここまで他人に追い込まれることがあるのか」と思い知らされるほど窮地に陥ったことがあります。
今ではあれは私の若さゆえの甘さ、が招いたことだったと反省しています。
あのとき、いろんな「なんかヘンだなぁ」「これはよくないなぁ」と思うことをコトを荒立たせたくないばかりに「ま、自分さえ気にしなければ」と思って見ないふりをしてきた。
それこそ、地震というのは少しずつたまった地盤のゆがみのエネルギーが一気に放出されることでおこるのですが、人間関係のトラブルというのもそれと同じようなモノだと悟りました。
今の私ははあのときほどに若くも、甘くも、弱くもないので同程度の問題が起こったといえども今の私の力をもってすれば難なく力業で解決できる自信はあるのですが、やはりそんな後ろ向きなことのリカバリーに時間や力を使うのはナンセンス。
なので一つ心に決めていることがあります。
「”矛盾や無理”はできるだけ早く”トラブルや問題”に変えて解決する」
エネルギーがたまってしまう前の、できるだけ初期の段階で地震にかえてしまえば、手に負える規模のダメージですみます。震度4までの地震で死人が出ることはほとんどありませんが、震度5を超えた瞬間いきなり死者が百人・千人・万人単位ででるのが地震の怖いところ。
ならば避けるべきは”大地震”だと私は思うのです。
よくヒトに「そんなにコトを荒立てなくても」と言われることがあるのですが
「今我慢してもいずれ何倍にもなって我々を苦しめる問題に成長するだろう。
ならば、今少々イヤな思いをしても矛盾はなくしておく方が百倍良い。
こちらは何が不満で、相手はそれに対してどう対応するか、キッチリ突きつける。
それで折り合いがつかなければ即”さよなら” その方がどっちものためになる。」
これが私の人間関係の重要なメソッドです。
すべての人間がみんな仲良くなれるわけではありません。
あわない人間が近い距離にいるのは誰にとっても幸福ではありません。あわないのであれば、距離をとるか、いっそ別れてしまう。
これがみんなの幸せのためだと私は確信しているので、これからもトラブルメイカーを突き通そうと思います。
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