前にも同じようなことを書いた覚えがあるけれど、今読み直している本「ある種の女はなぜ口説きやすいのか」(後藤芳徳 著)に書いてあるトコロから抜粋。


 人間は往々にして「それだけは勘弁してくれ!」と周囲が思う行動を、知らず知らずのうちにとっている。



 お笑い芸人志望の若者に会ったことがあるだろうか。なかには確かに面白い人間もいる。だが半数は、そのへんの普通の子たちよりもつまらない。少なくとも、私の接してきたお笑い芸人志望はそうだった。



 私の経営する風俗店舗にも、そんな若者が入店してきたことがあった。面白いと思っているのは本人だけで、芸人になろうとした動機も周囲が面白いと思っているからではなく、自分が自分を面白いと思い込んでいるからだった。



 俺の芸は面白いと皆が思っていると勝手に決めつけているので、店内でも頻繁にネタを連呼する。ところがこれが、この上なくくだらない。そう思っているのが私だけなら、私が我慢すればよいのだが、まず、99.9%の人にとって退屈な内容でしかない。


 店で勤務している女の子がある日、涙ながらに訴えてきた。「元気なときには聞き流してあげられるけど、疲れているときには殺意が走るので、彼を黙らせてくれないか」と。


 そこで本人に話すと、案の定、周囲がそんな目で見ていたことなど、全く気づいていなかった。それどころか彼は自分を面白い人間だと信じ込んでいるので「みんなを笑わせなけれきゃいけない」と使命感に燃え、プレッシャーと闘っていたのである。強権発動でくだらないネタは禁止令を出して一応は収まったが、それにしてもひどいコミュニケーション不全である。



これがめちゃめちゃわかる。



>ところがこれが、この上なくくだらない。そう思っているのが私だけなら、私が我慢すればよいのだが、



>店で勤務している女の子がある日、涙ながらに訴えてきた。



>それにしてもひどいコミュニケーション不全である。



最初に「この話が、つまらなく思うのは、、、もしかして俺だけか・・・?」と思うのも一緒だし、まだ涙ながらから訴えられたことはないけれど「あの人、本当に話がつまらない。何とかしてほしい」と陰で女の子から言われたことも一度ではない。



というか、放送部をみてても大概の男の学生にはその傾向がある。去年、一昨年と、「コイツらは本当にこの話がおもしろいと思っているのか?」とラジオの収録に臨みながら思ったことは何百回あっただろうか。


昨年の今頃、ネトラジが始まったばかりの頃にちゅうそんに「セイジさん、よく、コレ、続けさせられますね・・・」と言われたことを今でも鮮明に覚えている。



「俺もここまでヒドいとは思わなかった・・・ ただ、数をこなせば、うまくなる。のではないかな。」 



と返し、ちゅうそんにこう言われたのも覚えている。



「セイジさんも大人になりましたねぇ。昔ならとっくに怒っていたでしょ」




ま、話はそれたけど、面白いと思い込むにはそれなりに根拠が必要。私がおすすめするのはズバリ人に聴く。


特に女の子なんてのはつまらない人間につまらないって言うことはないかもしれないけれど、それ以上に”絶対”なのはつまらない人間におもしろいということは無いということ。


だから簡単で「俺は、君からみておもしろいだろうか?」ときいてみる。その答えが


「ええ、おもしろいと思いますよ。」


なのか


「うーん、おもしろいってどういう感じ?」


とか即答されずにごまかされる感じなのか、これでだいたい見分けがつきます。最低3人から”即答”を得られないのであれば、かなり独りよがりな思い込みであり、もしかしたら陰で誰かが涙の陳情をされている側の人間かもしれませんよ。


というお話でした。