私はハタチから24歳ぐらいまで駅前の青い看板の塾で講師をしていたことがありました。今日はその時学んだことを。



ハタチの春、季節はちょうど今頃。塾講師として私ははじめて担任をもたせてもらいました。そのクラスで私は「おもしろい先生だ」とすべりだしはよかったものの、その数ヶ月後「あのクラス、はずさせてもらえませんか・・・。私には無理です。」と肩を落として上司に言い出していました。



夏がはじまる頃にはもはや生徒がまったく私の言うことをきかなくなっていました。講師の、年上の威厳はまったくなく、完全にナメられており、もはや授業中の私語すら押さえることができなくなっていたのでした。



私のたった4年の短い講師人生ですが、そのはじまりはいきなりの挫折からでした。



よく考えれば私、他人に怒られたことはありこそすれ、怒ったことなど一度もありません。生徒に注意しようにもどうやったらいいのかわからないから「そんなことしとったら アカンで」ぐらいにしか言えなかったのです。すると生徒は「コイツは何をやっても怒らない」となって、みな好き勝手に、授業中に立ち歩く者まで出る始末。完全にナメられてました。




あのときの「自分は無能」感はすさまじくかなり落ち込みました。が、ここで苦悩し編み出したソリューション(解決法)がその後の人生でも(特に今)大きく役に立っていたりします。




基本、私は「優しい」性格です。なにをされてもたいてい怒らない。だから女性とつきあっても長続きするし、人から「本当にエラいね。感心する」と言われるぐらい献身的だったりします。これはひとえに親の育て方がよかったのでしょう。



ただ、世の中の10コの事象のうち、9をスルーしてもぜったい見逃してはならない1をスルーした時、その人はナメられ軽んじられバカにされるという「1」が存在するということを知ってからは、そこをひたすら注視するようになりました。



※余談ですがちゅうそんと昔よく言っていた「モテる男は“哲学”を持っている」というのはこの辺じゃないかなと思ったり。「なんでも言うことをきいてくれる優しく頼りがいのある男」と「なんでも言うことがきく都合のいい男」の違いはその「1」があるかないかだと私は思います。



塾講師時代、私は【他人の迷惑になることはしてはならない】というのを「1」におきました。



そして怒り方ですが、その昔、受験生時代に私が尊敬する物理講師・垣内貴志先生が最後列であきらかに限度を超える声の大きさで私語をしている生徒に対し叱った光景が自分が怒られたワケでもないのにある種トラウマになるぐらい恐ろしく未だ脳裏にあったので私は、ある日、あの日の垣内先生とまったく同じやり方で同じように”度を過ぎた”私語する生徒に対したことがありました。



ドン!



授業の途中、まさに唐突に黒板をグーで叩く。



「ふん・・・。そこの二人。申し訳ないが、出て行ってもらえへんかな?」



「別にな、俺の授業が聴きたくないのであればそれはそれでかまわへん。ただな、他の奴はワリと真剣にきいてくれているみたいやら、正直、おまえら邪魔やねん。」



「しゃべりたいんやったら、教室から出ていってもらえへんかな? あ、別にかえってきてもらわんでええから。」




目を細め眉間にしわを寄せながら、しかし声は明るくゆっくり笑顔で話す私。アタマの中では”確か、垣内先生はこうやってたハズ”とか思いながら。




すると私の冗談を交えた授業でそれまでなごやかだった教室は一変、水を打ったように静かになる。(今考えると、こういう授業スタイルだからナメられやすかったんだけど・・・) 全員が「何事?」という目で私と怒られている生徒の方を見ている。



正直、ココまで効くとは思いませんでした。



”清治には目力(めじから)があるから、それが使えると強い”


と先輩のM山先生に後に言われたことがあるけれど、今考えると私の薄ら笑いの下にある冷めた目つきは子どもにとって相当恐ろしかったのでしょう、怒られてない生徒すら全員私を畏怖の目で見てくるし、まさに被害者たる男子達は今にも泣き出さんばかりになっている。



「なんや、出ていかへんの? したらもうすこーし、静かにしてもらえると助かる。」



そしてニコっと笑って



「よし、そしたら続きをしよか。」




それから、私がナメられることはなくなりました。



一度でも私が怒っているトコロをみたコトがある生徒は「あの先生は普段はおもしろいが怒らせるとシャレにならない。」と強烈に刷り込まれるようで、以後私を「キレさせる」ようなことはぜったいにしなくなりました。


和気藹々とした中にもほんの少しの緊張が混じる、きわめて授業がやりやすくなり、それにつれてアンケートの成績もよくなっていきました。



(実はそれほどカンタンじゃなくてその後しばらく「ヤバイ、このクラス、何言っても笑ってくれんくなった」という違う意味で困るコトになるのですが、それはまた別のお話。)




つまり10のうち9をスルーしても1はぜったいに許さない。やるときは徹底的にやる。



「ぜったい超えてはならないラインを超えた人間は全力で痛めつける。夢に出るまでやる。」



これが私の基本原則になりました。正直、垣内先生の怒ったトコ、見ててよかったです。ちなみにこのコトを四字熟語で「一罰百戒」というのだと最近知りました。





ただ講師をやめてからこの「伝家の宝刀」、というたとえが正しいのかどうかはわかりませんが、を抜くことはほとんどなくなっていたのですが、最近では



・私が最も大切にしている女友達と先輩を無配慮で傷つけた先生


・部下を愛し守るという”長”として当然かつ最低限の責任を放棄した学生


・私のすべてを否定し、かつてないほど身勝手な理屈で攻撃してきた女性




には久々のフルパワーを出した覚えがありますが、私の言葉はある種「凶器」と言ってもいいのはよく自覚しているので、最近はちょっと抜きすぎな気がするので、反省の意を込めて今日はこの話を書いてみました。


長すぎた・・・