幕末で一番アツイ事件といえばやっぱり高杉晋作の功山寺挙兵でしょう。



概略は前々回のエントリーで書いたけど、日本全国すべてが幕府寄りになってしまい最後の砦であった長州ですら「高杉ら尊皇派は長州にとって害悪」となってしまった。


もはや「新しい国の形」など夢以外の何者でもないそんな時、九州に身を隠していた高杉は単身長州に舞い戻る。


高杉がまずやったのは彼が創設した農民・町民による軍隊『奇兵隊』への決起のよびかけ。しかし、当時総督に就任していた赤根武人には「今は藩内で争っている時ではない」と拒絶される。




長州藩最強の『奇兵隊』をたぶんアテにしていた高杉にとって赤根に拒否されたのは相当こたえただろう。なにしろその時、彼の手勢はわずか二十数人でしかなかったのだから。



しかし、ここからが革命児・高杉晋作。



功山寺に入って"尊皇派"の象徴であったため幕府恭順にかたむく長州内で肩身の狭い思いをしていた五卿(七卿落ちの7人から2人減って五卿となっていた)に対してこう高らかに宣言する。



「長州男児の肝っ玉、今からお見せいたしましょう!」



わずか二十数人で挙兵の準備をしている高杉の前に若き日の伊藤博文(俊輔)が息をきらせながら走ってやってくる。




「高杉さん! 聞きましたよ! 赤根さんに断られたとか。


さすがの赤根武人も毛利三十七万石を前に怖じ気づいたか!


私もつれていってください!


少ないながら手勢も引き連れて参りました。」




伊藤の後ろにはドテドテと走ってついてくる小太りの十数人の力士達が。




「はっはっは! 俊輔、 そいつら力士隊じゃないか。そんな小勢で何するつもりだ。」




「小勢は高杉さんとて一緒じゃないですか! こいつらだってどこまでもついていきますよ!」




それを聞いた高杉は笑いながら声をかける。



「俊輔、死ぬぞ」




「ええ、死にましょう! 高杉さん!」




その一言で、伊藤は初代内閣総理大臣の地位を手に入れたと言っていい。






ってな感じで私が昔使っていた日本史のテキストには書いてありました。



あれがすっごく印象に残ってて。




高杉晋作はたぶん織田信長と同じようにたぶん天才なんだと思う。あんな人間は本当に希にしかでてこない。


しかし、伊藤は違う。


確かに努力家で、国を想う気持ちは誰にも負けなかったかもしれない。


でも彼の人生を分けたのは、あのテキストにあったように「その一言」だった気がする。





赤根武人は後にその時の行動がもとで仲間から疑られ、最終的には処刑されている。



男には、人生を分ける「その時」がある気がする。



乗るか、反るか。



「その時」がいつ来てもいいように、そして来たときには必ずそれとわかるように、いつでも男は「覚悟」しておかないといけないなぁ。と高校の時に思ったのでした。