末尾の本の受け売りだが、信長・秀吉と家康(江戸転封前)の君臨の仕方の違いが興味深い。


信長・秀吉は独裁者であった。つまり彼に仕える部下一切の生殺与奪の権限を握り圧倒的なリーダシップで君臨する独裁型の君主。それに対して家康が生まれた松平家は、何家も存在する三河松平家の本家であるに過ぎずそのリーダーシップは議長的あるいは家父長的君主であったとされる。


わかりやすい例で言うならば信長・秀吉は発行済株式の90%以上を保有しすべての経営判断を自分で下せる立場であるのに対して家康は筆頭株主とはいえ持ち株比率は20数%を数えるだけであり、松平の分家達がそれぞれ10%程度を保有しているため彼らの意向を無視できないという弱々しい立場であった。



この違いはそれぞれの発展のスピードにあらわれている。



信長は尾張の隣国美濃の攻略に時間を要するもののそれ以降は爆発的な勢いで近畿・北陸・山陽・山陰を平定していった。またその跡を継いだ秀吉も信長以上のスピードで中国の毛利・越後の上杉・四国の長宗我部を降し信長以上のスピードで天下統一に至る。しかし、家康は信長のほぼ同時期のデビューにあるにもかかわらず本能寺の変時には三河・駿河・遠江の三国を領有するのみ。さらに豊臣政権下ではその領土はほとんど増えていない。


やはりこの結果の差は経営における意志判断のスピードの違いが影響しているだろう。すべて自分一人で決められる信長・家康。常に合議を経てしか軍事行動等を行えない家康。反対者は厳罰をもってのぞむことができ、恐怖によって家中を支配することができる信長・秀吉。常にクーデターの危険性に備えねばならず、ドラスティックな方針を打ち出すことがしにくい家康。このリーダーシップを発揮する環境の差こそ注目すべき点である。



ではこのリーダーシップの差はどこから来たのだろうか?


考えてみれば、織田信長・豊臣秀吉が歩んできた道というのはまさに「権力闘争」そのものである。言い換えれば同僚との闘争の歴史である。


信長もはじまりは家康と負けないぐらい貧弱な政権基盤からスタートしている。父・織田信秀が彼に残した土地は尾張半国のまさに猫額の土地。尾張の中心・清洲は織田本家(信長は支流の家の出)が敵対しながら居座っており、国内にも反対派は多く、信長は弟・信行の謀反などその人生の多くの時間を「織田家との争い」に費やしている。


また秀吉も信長王国の継承者の座を巡って柴田勝家・滝川一益・佐々成政など、かつて同じ釜の飯を食った織田家の重臣達との権力闘争の果てに天下人の座を射止めたのである。


両者に共通しているのは身内の敵対者に対して容赦がなかったことである。上に挙げた清洲織田家、織田信行、柴田勝家、滝川一益、佐々成政の末路がいかであったかは有名である。


またこの二人は共通して「誰もがケチをつけられないほどの輝かしい実績を持っている」という点で共通している。桶狭間における奇跡と明智光秀の追討による主君の仇討ちである。この2つによってそれまで信長・秀吉に心服していなかった勢力を完全に幕下におくことに成功している。


それに対して家康は家臣に支えられてきた君主である。今川家の人質として流浪の末、居城である岡崎城への帰還。それまでの家康の命と大名としての松平家(徳川家)を維持しつづけてきたのは他ならぬ家康の家臣達である。三河武士の忠誠心は篤く、いざ合戦となれば命を捨てて戦ったのだが、それゆえに家康は強力なリーダーシップを発揮できなかったのではないか。


「非情なる処断」と「有無を言わせない実績」


これが強力なリーダーシップを生み出す土壌となるのではないかと私は考える。



↓この本は中学生ぐらいの頃に買ったけど今読んでもすっごくおもしろい。天下人3人が好きな人は一読の価値はあると思います。

信長・秀吉・家康の戦略戦術
¥1,680
Amazon.co.jp


see also

部下たる者の反面教師 ~ 佐久間信盛、追放

http://ameblo.jp/seiji-1203/entry-10131376366.html