結論から言いますと、人は単なる箱です。
中身はそもそも空っぽで、な~にもない。
でも箱だからいろんなモノが入ります。
この箱に入るのは、物ではありません。
思いや、思想や、思い出や、悲しみ、苦しみといった感情、喜びも悦楽も、そういったモノを入れることができます。
人によって入れ方は、様々です。ただ乱雑に放り込んでいる人もいれば、綺麗に整頓して入れている人もいる。
箱の中に入っているモノの量も人それぞれです。
箱からはみ出すほど入れている人や、ほんの少ししか入っていない人。
箱の中をしょっちゅう見ている人もいれば、全然気にしない人もいる。
箱の中身は常に変わっています。でも人はそれに気づかない。
いつも同じ物が入っていると思っています。
その気になれば、いらないモノは捨てることができるのに、それもなかなかやらない。
本当は単なる箱ですから、みんな好きなモノを入れることができるんです。
と言うか、実際そうしているんでしょうが。
変なモノが好きな人も時にはいます。
私の教えている「自然 (じねん)」という状態になると「人は箱」という意味がわかるでしょう。
人によっては、すでに概念として、知っている人もいます。
それが体感できるのが「自然 (じねん)」です。
ごくごくたまにですが、この「自然」の状態がわからない人がいます。
これまで多くの人々に、教えてきて、そういうひとには2種類いるな、と感じました。
一つは、常に「自然」の状態でいる人。
これは普通の状態と全く差がないので、その違いを実感できません。
こういう方は、最初からなんの問題もない人です。
二元論的な思考は、すでに落ちています。
人生に対して、あるいは、ほとんどの物事に対して、疑問は持っていません。
行動は、常に直感に基づいて行われます。
そういう人の行動をドライブするのは、好奇心です。
もう一つの種類は、左脳的な思考の強い人。
常に理屈で考え、原因と結果を探ります。
人生に対しても、物事に対しても常に疑問を持っています。不満を持っている場合も多いです。自分がいつも不当な扱いを持っているといった具合です。
そして往々にして、二元論的な思考に支配されています。
言ってみれば、自分が箱の中身と同化してしまっている状態です。
あとは、五感の問題です。 普段から五感をフルに使って生活しないと感覚は鋭敏になりません。
五感の感覚は、幼少の時代に培われるものです。
コンビニやファーストフードの食品ばかり食べていれば、味覚は死にます。味覚は嗅覚と密接に関係しています。そういう食事を良しとする人は、嗅覚もダメです。
世界はこれから2極化すると言われています。
優劣、勝負、善悪といったこれまで通りの二元論に支配されて生きて行く人とそうでない人に分かれて行きます。
二元論で生きてきた人々にとっては、生きにくい世の中になって行くでしょう。