《大河ドラマ「真田丸」》~キャスト陣から読み解ける事は~ | 歴史ブログ

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【大河ドラマ 「真田丸」】
~キャスト陣から読み解ける事は~



今年の大河ドラマ「真田丸」。
出演者については
後ほど記すとして、

真田幸村の呼び名で知られている
真田信繁は、
そもそもどんな実績を残した
人物なのでしょうか……

「真田丸」の時代考証を担当の
平山 氏が、
真田家について書いた
「真田三代」を参考に見てみましょう。




⬛【真田信繁の半生とは】



◾「人質生活を味わった信繁」

信繁というと
大阪ノ陣のイメージがあまりに強く、
早くから戦果を残したと
思われがちですが、
青年時代は人質生活が長かったのです。

「真田三代」によると、
当時17歳であった信繁は、
父・昌幸の命を受けて
上杉家へと人質として派遣されます。

それから約3年後、
上杉の人質から、豊臣秀吉の人質へと
移ったと言われています。

しかし、
資料があまり残っていない事もあり、
時期などの詳細は分かっていません。

ところで、
なぜ青年時代の信繁は、
上杉、豊臣と2度の人質生活を
経験しなければ
ならなかったのでしょうか。

これには、昌幸のしたたかな
生き残り戦略が関係します。

当時の真田家は中小大名であり、
うっかりしていると
簡単に徳川や豊臣のような
大大名に滅ぼされてしまう。

そこで昌幸は、
上杉、北条、豊臣と従属する家を
次々変えていきました。

その為、
信繁は人質として身を委ねる必要が
あったのです。

ちなみに、信繁は、
上杉から豊臣に移る際、
隙を見て脱走したとされており、
豊臣の人質時代には
秀吉から気に入られ厚遇を
受けていたそうです。



◾「兄弟の別れと関ヶ原ノ戦い」


しかし、
そんな秀吉が没した事により
動乱の世が訪れます。

各大名は、
徳川に味方するか、
豊臣に味方するのかの
2択を迫られました。

真田家の決断は
どうだったのでしょう。

結果として、真田は、
家族別々の道を歩む事を決めました。

昌幸、信繁は豊臣方、
兄の信幸は徳川方へと味方します。

詳しい理由は分かっていませんが、
信繁が豊臣方に味方した理由は、
石田三成の盟友・大谷吉継の娘を
娶っていたから。

信幸が徳川方に味方した理由は、
家康側近の本田忠勝の娘を
娶っていたからという
説などがあります。


さて関ヶ原ノ戦いでは、
昌幸と信繁は上田城で
徳川秀忠 軍と対決。

ここでは昌幸の知略が大いに冴え、
秀忠 軍に見事に大損害を与える事に
成功しました。

しかし、承知の通り、
豊臣方は半日で徳川に敗れた為、
水の泡と消えたのでした。




◾【追放後の生活】



徳川に大損害を与えた
昌幸、信繁に対して、
家康は怒り許す姿勢を見せません。

家康は昌幸、信繁を死罪にしようと
決めていました。

しかし、
こんな時に頼りになるのは
やはり家族。

徳川方に付いた信幸と、
信幸の舅・本多忠勝は
必死に助命を嘆願しました。

特に忠勝は、
「昌幸、信繁を死罪にするのであれば、
殿(家康)と一戦仕る。」
(家康をも殺す覚悟である)
とまで言ったと伝えられています。

彼らの必死の願いが通じ
2人は高野山追放に留まりました。

この時、信繁は34歳。
高野山での生活はかなり貧しく、
相当、苦労したようです。

更に、
追い討ちを掛ける様に、
1611年、父である昌幸は
追放の地で死去します。




◾【大阪夏ノ陣、冬ノ陣】

そんな信繁に転機が訪れます。

家康が秀吉の子・豊臣秀頼に
難癖をつけて、
再び大きな争いが起きたのです。
(大阪冬ノ陣、夏ノ陣)

信繁は高野山を抜け出し、
大阪城(豊臣方)へと入城。

真田が入城したと聞いた家康は、
「それは親(昌幸)か子(信繁)か。」
と震え、
「子のほうだ」と言われると
安堵したとされます。

つまり家康から見ると、
信繁は恐れるに足らずとの
評価だったのです。

しかし、そんな評価を信繁は
自らの力で覆す事になります。

まず、大阪冬ノ陣では、
大阪城の外に
真田丸という出城を築いて獅子奮闘。
徳川側に大きな被害を与えます。

そして夏ノ陣では、
寡兵で徳川方に突撃をし、
家康をあと一歩のところまで
追い詰めました。

家康本陣は大混乱に陥り、
家康は切腹をしようとして
何度も部下に止められたと
伝わっています。

しかし、多勢に無勢。
惜しくも信繁は
家康の首を討つ事はできず、

休んでいるところを
敵に発見されて討たれました。
(享年49歳)


とはいえ、
そんな信繁の奮戦は敵、味方問わず
「真田、日本一の兵」(ヒノモトイチ ノ ツワモノ)
と称賛されました。




■「信繁の悲劇性とドラマ性」


信繁の死には悲劇性があります。

というもの、
大阪冬ノ陣、夏ノ陣とも、
信繁は獅子奮迅の活躍をしましたが、

その背景には
派閥や無能な権力者の存在が
ありました。

冬ノ陣では、
積極策を提案するも
秀頼側近の大野治長らに否定され、
最終的には、
意に反して籠城策が取られます。

また、夏ノ陣で、
信繁は、無謀とも言える
突撃をしましたが、
その背景には、秀頼の母・淀殿が
冬ノ陣で勝手に講和を結んだり、
秀頼による出馬を拒んだりした事が
ありました。

しかし、
このような状況で最後まで奮闘し、
少ない兵数で天下人・家康を
最後まで追い詰めたという
ドラマ性も一方ではあります。

この2つがあるからこそ、
多くの人の共感やカタルシスを生み、
現在のような
信繁のヒーロー像へと
繋がったのでしょう。

ちなみに、
ヒーロー像が強く、
イケメンであるように
描かれる事が多いですが、

大阪 冬ノ陣のときの彼は、
「歯が抜け落ち」、
「白髪頭」で「髭も黒い部分がない」
老人の様な風貌だったそうです。




◾【大河ドラマ「真田丸」の見どころ】

■「キャスト陣」

そんな信繁を題材にした
大河ドラマ「真田丸」ですが、
見どころは、何と言っても
緻密に計算されたキャスト陣です。

まず、
信繁役を演じるのは堺 雅人さん。

前述のように、
大阪の地で派閥や無能な権力者と
対しながらも、
奮闘する信繁は「半沢直樹」と
共通点もあります。

おそらく大阪ノ陣のシーンでは
「半沢直樹】同様に
多くの視聴者にカタルシスを
与えるでしょう。


兄・信之役には大泉 洋さん。
実際の信之も徳川に味方しながらも
昌幸や信繁が敵側だったので
板挟みでした。

この姿は、
番組で無茶な要求に対して
「なにしてんだよォ、もう」と
困っている様子とも重なります。

そして、
2人の父親である昌幸は
草刈正雄さんが演じます。


草刈さんは、かつて、

NHK歴史ドラマ『真田太平記』で
信繁を演じていたのです。

特に、草刈さんが見せた
信繁 最期のシーンは
ファンからの評判が かなり高く、
これを堺 雅人(子・信繁)が
草刈正雄(父・昌幸)を越える事が
できるかという点も注目です。

しかし、
堺 雅人も大河ドラマ『新撰組』では
山南敬助の壮絶な切腹シーンを演じ、
こちらもかなり評判が高いので、
今回も壮絶な最期を演じきって
くれるのではないでしょうか。

ちなみに、
今回の『真田丸』の脚本は
この『新撰組』でも脚本を書いた
三谷幸喜さんです。

また、
敵となる徳川サイドの人間のキャストも、


家康役に『風林火山』で
主役の山本勘助を演じた内野聖陽さん、


本多正信役に『龍馬伝』での
怪演が話題になった近藤正臣さん、


本多忠勝役に藤岡弘さん、
と最強感がとてつもない事に
なっています。

信繁ファンでも勝てなくても
仕方ない、
でもこんな最強の敵を
あそこまで追い詰めて
凄いと満足するのでは
ないでしょうか。




■「制作陣も優秀な人揃い」

しかし、
キャストが良くても
ストーリーが良くなければ
どうしようもない。

ですが、
今回はこれも安心できる布陣。

まず、
歴史考証は平山優 氏が務めます。
平山氏は武田、真田研究に於ては
歴史学者の中でトップと言っても
過言ではなく、
かなりの信頼と実績を持った方です。

また、
脚本の三谷幸喜さんは
番宣でのはしゃぎっぷり等から
軽い印象を抱きがちですが、
実はかなりの大河オタクです。

以前、脚本を書いた『新撰組』の
評価も上々です。

そのため、9才の主人公が
明智光秀を説教するなどの
面白ストーリーで知られる
『江』の悲劇が繰り返される事は
ないでしょう。

かなり期待ができる大河ドラマ『真田丸』。


皆様も今年、
信繁の生涯に思いを馳せつつ、
御覧になってみては如何でしょうか.