「人は生きねばならぬ
生きるためには戦は(わ)ねばならぬ
名は掲(あ)げねばならぬ
金はまう(儲)けねばならぬ
命がけの勝負はしなければならぬ」
徳冨蘆花(とくとみ ろか 1868〜1927)は
現在の熊本県出身の文学者
(以下 国立国会図書館HP「近代日本人の肖像」より)
小説家。少年時に同志社に入学、洗礼を受ける。
同志社を中退後、明治22年(1889)兄徳富蘇峰の経営する民友社に入る。
31年から国民新聞に連載した「不如帰」は明治屈指のベストセラーとなり、
それに続く「自然と人生」「思出の記」などにより小説家としての地位を確立した。
39年エルサレム巡礼に出、トルストイも訪問する。
40年東京府下千歳村粕谷(現世田谷区)へ転居、半農生活に入る。
兄蘇峰とは長らく絶交状態であったが、昭和2年(1927)伊香保で療養中に和解、
その翌日に死去した。