書の取り合わせに思う | 秋葉生白 ブログ 『おかげさま』

書の取り合わせに思う

書家はほとんどが書いた作品を表具屋任せにすることが多い

寿司屋に行っても寿司の本質を理解していない職人がたまにいるように

表具屋もセンスのない仕事をする人がいるものだ

しかしこれは大変困るのである

苦労して書いた作品もかわいそうだし気に入らない表具にお金を払うことはさらにつらい

だから私は表具屋任せにはせず使う裂の好みから軸先の選定また天地の配分と細かく表具屋の仕事場まで行って注文する

注文が多い書家は厄介のような気がするが逆に表具屋はその方が楽であり

すべての責任は書家がとる訳なので書家は出来上がりに文句が言えないのである

鳥海青児は洋画家であったが自分で表具までした人である

洋画家は案外額にこだわる人が多いので須田剋太や中川一政なども作品と額や表具の色使いにうるさかった

写真は絵画の額に風の一字を入れた小品だが

部屋に飾るにはこの方が面白くおしゃれな気がする

書道専門の表具屋はステンレスの額が大好きでありよく用いるが

少し冷たい感じがして私は好まない

日本橋の三越で取り合わせの妙のお話をしたことが何度かあるが

取り合わせは室礼にはとても大切で

何と何が合うかなどいつも色使いなど考えることが大切である

古い李朝の家具に備前の徳利に活けた椿の花一輪などは姿の良いものである

どくだみの花が盛りだが弥生の壺の陶片や中国の漢の瓦当などにとても合うもので

どくだみの花の白さが渋い色に際立つものである

梅雨の紫陽花を見るたびにまた自分勝手の取り合わせの遊びを楽しんでいる今日である