誠道館は日本空手松濤連盟・全日本空手道松涛館(全空松)の加入団体です。
全空松は、全日本空手連盟の協力団体です。
誠道館で得た「級」ならびに「段位」は、そのまま全日本空手連盟に認められます。




こんばんは。
芭蕉にあこがれ、東北を彷徨い「夏草や…」の句がよまれた平泉についたのですが、
奥州藤原氏の栄華の儚さを思いつつ、風流な心のままにトイレに入った所、
ものの見事にトイレに財布を落としてしまい、水の流れに踊る財布を目の当たりにし、
風流な心を切り裂くように、けたたましく絶叫した誠道館・広報部です。


さて、4月28日・29日はいろいろあった2日間でした。

まずは28日の通常練習@円山北町会館。

全空松大会のために、いつも以上に気合の入った練習でした。

監督の館長。

動かざること山のごとし。

と思いきや、具体的指導。

腕のかたちをチェック。

若手の先生たちも、活発に指導してくれました。
三連発で紹介

ウエスギ先生。

ケイコ先生。

アヤネ先生。

29日は
全日本空手道松涛館・第2回北海道空手道選手権大会
@千歳スポーツセンター(ダイナックスアリーナ)でした。

つわものどもの戦い。

頑張ったぞ!

結果発表

小学2年男子 優勝 シュン選手
小学1・2年女子 3位 イチカ選手
小学3年男子 準優勝 ハヤト選手
小学3・4年女子 4位 アカネ選手
小学4年男子 ベスト8 ワタル選手
小学5年男子 準優勝 コウ選手
小学5年女子 4位 ハル選手
小学6年女子 ベスト8 マユ選手
中学女子 3位 ミユ選手


組手
小学1・2年男子 準優勝 シュン選手
小学3年男子 ベスト8 ハヤト選手
小学5・6年女子 準優勝 アミ選手
中学女子 4位 ミユ選手

みんなしっかり頑張りましたね。

とても勉強になる試合でした。


さらに、
札幌支部高等学校空手道春季大会@東陵高校
も行われました。

こちらは写真がありませんが・・・

ベスト4 2名。
ベスト8 1名。

高校生も、つわものどもと戦いましたよ。



みなさんおつかれさまでした。


大会が終わったら、課題もはっきりします。
これからもしっかりやっていきましょう


夢のあとは、・・・・・・


夢のはじまりだぞ!







子どもたちへ。
昔は水洗トイレではなかった。財布を落としたらウ○コまみれになった。






【たまにタメになる話】
「夏草や 兵どもが 夢のあと」(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)

松尾芭蕉が作った俳句。
1689年・元禄2年5月13日(新暦6月29日)に平泉で詠まれた。

おくのほそ道29・平泉の章段に記されている。

芭蕉が江戸を出発しておよそ1ヵ月半。
平泉の高館(たかだち)に立ち、夏草が生い茂る風景を目の当たりにして、
奥州藤原氏の栄華の儚さを思ったといわれる。



「奥州藤原氏」(おうしゅう ふじわらし)

前九年の役・後三年の役の後、
1087年・寛治元年から1189年・文治5年まで東北に勢力を張った豪族。

平泉は奥州藤原氏が繁栄を築いた地。
藤原清衡が始祖。4代続いた。
3代秀衡の時代が絶頂期。

鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟・義経。
彼は平家を滅ぼす戦で、花形ともいうべき活躍をしたが、
兄・頼朝に追われて、平泉の藤原秀衡のもとに身を寄せる。

秀衡は、義経を総大将として仰ぎ、頼朝と戦うよう遺言し死去。
しかし、あとを継いだ泰衡は、度重なる頼朝の圧力により義経を襲い自害させる。

そのあと、頼朝は大軍を組織して平泉に進軍。
勝てないと悟った泰衡は、平泉を捨てて逃亡。

泰衡は、家臣の裏切りで命を落とし、
藤原清衡にはじまった、平泉の文化的な光芒を放つ何事かが終息した。





ちなみに・・・・・・・・・・・・・・
奥州藤原氏は、藤原北家秀郷流を称した。
これはコーホーブの先祖と一致している。
あまりカッコよくない。笑。






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